モータースポーツ面を四半世紀、約8500ページ
◆編集後記
 第二の定年を迎え、本日(30日)をもって中日新聞社を卒業する。40歳で途中入社して25年。モータースポーツ面のデスクだけをやってきた。

 デスクとはいわば紙面の編集長で、数えたらざっと約8500ページを担当した。足元を見ながら四半世紀歩いてきたら途方もなく遠くに来てしまったが、“職人”として全うできたことに感謝しているし、とにかくモータースポーツの新聞づくりは楽しかった。

 記者としては、人気全盛期のF1を取材するため五大陸を渡り歩いた。思い出はいろいろあるが、やはりアイルトン・セナの憂いをたたえた表情が忘れがたい。レースと事故はつきもので、どうしてもレーサーの若死にに直面することになる。思い出すままにつづれば、セナのほか若井伸之、小河等、ダン・ウェルドン、マルコ・シモンチェリ、加藤大治郎、阿部典史、コリン・マクレー、リチャード・バーンズ(病死)…みんないなくなってしまった。しかも個人的には全員がいいやつだったのは不思議だ。

 いまでも悔やんでいるのが富沢祥也。トーチュウに来たとき、「木村カエラの大ファンなんです。GPで勝ったら会わせてもらえませんか」と言われ、どうせこんなチャラいのは勝てっこないと思って安請け合いしたら、祥也が「ほんとですか」と目を輝かせた。彼はそのあとWGPにデビューしてすぐに初勝利を挙げ、ライジングスターとして有名になった。そしてカエラの件でこちらがどうしようと困っているうちに天国に行ってしまった…。

 10月からはフリーライターとしてまだ働けという。あらためてよろしくお願いします。 (明村馨)