第1回公式合同テスト
拓磨(中)のテスト走行を手助けした宣篤(左)と治親(右)
拓磨(中)のテスト走行を手助けした宣篤(左)と治親(右)
 【鈴鹿サーキット(三重県) ペン=佐藤洋美 カメラ=竹内英士】テスト初日、ロードレース界のレジェンドだった「青木3兄弟」が久しぶりに一堂に会し、二男・拓磨(45)がバイクで22年ぶりにサーキット走行を行った。現在は車いすドライバーとして活躍する拓磨がライダーとして復帰できたのは、長男・宣篤(47)と三男・治親(43)のサポートのたまものだ。

現役時代ほうふつ

 車いすに乗った拓磨が、兄と弟の手を借りて、バイクにまたがった。エンジン音を響かせてスタートすると、周りの集まった報道陣からどっと歓声が上がる。バイクはコースに飛び出すと、現役時代をほうふつとさせる走りで、鈴鹿の国際レーシングコース(5・821キロ)を1周。ストレートではなんと時速240キロをマークした。下半身の不自由なライダーによる驚異のパフォーマンス。バイクを降りた拓磨は「まだまだイケそう」とさわやかな笑顔を見せた。

 全員がロードレース世界選手権(WGP)に行った“バイクエリート”の青木3兄弟だったが、1998年に拓磨がテスト中の事故に遭って下半身不随になって以来、お互い疎遠になっていた。

拓ちゃん乗せたい

 その絆を復活させたが、今はオートレーサーの治親のアイディア。昨年5月、フランスGP中継を見ていて、車いすのライダーがバイクに乗ってサーキットを走る映像を目にした。「拓ちゃんを乗せたいと思った。でもどうしていいか分からず、もやもやっと考え続けて、居てもたってもいられず、夜中に起きて企画書を書いた」。それが昨年6月のこと。そして現在もライダーとして鈴鹿8耐参戦を続けている兄の宣篤に相談。2人は熟慮の末、12月に拓磨に声を掛けた。案ずるより産むがやすし、すぐに「やろう」と返事が来た。

特製バイク完成

 そこから、多くの支援者を巻き込んで「Takuma Rides Again Project」が本格的に動きだした。治親はバイクに装着するハンドコントロールシフトシステムをフランスから取り寄せ、自転車用のペダルを加工するなど試行錯誤して、ホンダの大型車「CBR1000RR」を改良した特製バイクを完成させた。そして千葉県・袖ケ浦フォレストレースウェイで2度テストして万全の準備を整えた。

 走行を終えた拓磨は感無量の表情。治親は「バイクが、また自分たちをつないでくれた」としみじみ。

本番は8耐で

 この日の走行は、鈴鹿8耐のデモ走行に向けた試走。本番は8耐の前夜祭と決勝前に実施される。大観衆の前で拓磨が往年の全日本ロード王者の走りを再現する。

 <青木宣篤(あおき・のぶあつ)> 1971(昭和46)年8月31日生まれ、47歳。群馬県子持村(現渋川市)出身。93年WGP250ccに初のフル参戦し、マレーシアGP優勝。WGPランク最高位は97年の3位(500cc)。鈴鹿8耐は拓磨や治親と組んで参戦したほか、2009年には優勝。現在はスズキのモトGPテストライダー。

 <青木拓磨(あおき・たくま)> 1974(昭和49)年2月24日生まれ、45歳。1995、96年に全日本ロードのスーパーバイクで2年連続王者。97年WGP500ccに初フル参戦してランク5位。98年に開幕前のテスト中に転倒し、下半身不随に。その後は車いすドライバーとして2008年、アジアクロスカントリーのT2−Dクラス優勝したほかダカールラリーやスーパー耐久にも挑戦した。

 <青木治親(あおき・はるちか)> 1976(昭和51)年3月28日生まれ、43歳。全日本ロードを経験しないまま1993年、一気にWGP125ccクラスデビューを果たす。95、96年と2年連続で同クラス王者となり、通算9勝。2004年にオートレースデビュー。転向後の05年、鈴鹿8耐で総合3位、JSB1000クラス優勝。現在、川口オートレース場所属選手。
YouTube:青木拓磨、バイクで鈴鹿疾走