’95第7戦オランダGP編
スクーターでコースを下見するノリック。オランダGPは痛恨のレースだったという(カメラ=竹内秀信)
スクーターでコースを下見するノリック。オランダGPは痛恨のレースだったという(カメラ=竹内秀信)
 じわじわと調子を上げる阿部典史。初めてのアッセンにもかかわらず、予選は好調だった。しかし、10万大観衆の前で行われた決勝は……。悔しさでハチ切れそうなノリックの胸の内をトーチュウ読者だけにお伝えする。
 こんなに悔しいレースは、今まで一度もなかった。悔しくて悔しくて、レースが終わった後、だれとも話したくなかった。だからモーターホームにすぐに戻ってシャワーを浴びた。シャワーを浴びながら自分の気持ちが落ち着くのをじっと待っていたんだ。

 なんでそんなに悔しいんだって言われれば、今は「6位だったから……」としか言えないし、言いたくもない。変な言い方だけど、これが正直な気持ちだ。

 予選は5番手だった。“アッセンはスゴイ難しいコースだよ”っていろんな人に聞かされていたし、実際に予選の前日にスクーターで走ったら、本当にカーブが多いなって思った。でも、予選が始まってみたら自分で予想していたよりもタイムが出た。

 まだそんなに攻めていないのに、1回目の予選ではトップのドゥーハンと2・7秒差。ドイツ、イタリアと初めて走るサーキットでは最初に3秒以上離されていたから、今回はいい感じだった。

 2日目になってもタイムはどんどん詰まって、初日よりも3秒も短縮することができた。おそらくトップは2分3秒台前半だろうってチームの人も言っていたし、僕もそう思っていた。

 だから、最後の予選セッションで残り10分ぐらいの時、僕は4秒台前半で4番手。この時にケニーさんが「もういい、このぐらいのタイムで十分だ」って言ってくれたんだけど、もう1回アタックできそうだったし、3秒台に入れてやるぞって頑張って走ったら3秒874が出た。タイムはバイクに表示されるから自分で分かった。それで「やったあ〜」って戻ってきたら、あれれれっ……の5番手。最後の最後にクリヴィーレがポーンとタイムを出して僕の順位が落ちてしまったんだ。

 みんな褒めてくれたけど、あんなに頑張ったのに5位? ってのが正直な気持ち。やっぱりグランプリはみんな速いなって思った。

 それから、予選でビーティーの転倒の原因が僕にあるようなことを言われていたらしいけど、全然関係ない。だってビーティーが転んだのは、僕を抜いたあと2つ目のヘアピン。僕の方がびっくりしたくらいだった。

 今回は久しぶりに予選タイヤを使って走ってみた。開幕戦から何戦か使ったけれど、最近はあまり使っていなかった。それなのにパーンとタイムを出せたし、調子も良くなってるんだなって思った。

 だからこそ、決勝レースは悔しかったんだ。だって、序盤にすぐ決勝用のタイヤで3秒台も出たし、トップグループについていくのも簡単だった。でも、クリヴィーレを抜いて4番手に上がったと思ったら、すぐにスパーンと抜きかえされ、その後カピロッシを抜こうと思っているうちに、今度は後ろからバロスにまたスパーンと抜かれた。

 最近、どこのサーキットに行っても、バロスやクリヴィーレとの接戦が多い。今回はこの2人には負けないと思っていた。だから、悔しくて悔しくて仕方がなかった。

 中盤にトップ集団に離されていったのは、もう追いつけないという状況もあったし、自分の中ですこしあきらめていたところもある。中盤にペースが落ちたのは自分の責任だけれど……。それ以上は、やっぱり言いたくない。レースの後になだれ込んだ観客のなかに日本人がいて、日の丸を僕に受け取ってほしそうだった。だけど、6位だったし表彰台にも立っていないし、悪いなって思ったけど、受け取れなかった。

 それにしても、ホント、すごい数の観客だった。10万人以上が集まったって聞いたし、一晩中、花火を上げたり爆竹を鳴らしたり、まるでお祭り。いろんなサポートレースもあって、夜の9時ころまでにぎわっているというのか騒々しいっていうのか、大変なグランプリだった。来年はオランダで表彰台に立ちたいなって思った。

 レースが終わって、その日のうちにアムステルダムの空港に向かった。でも、大渋滞で、サーキットに引き返した。オランダGPの決勝は土曜日で、日曜日は原田さんと一緒にアムステルダムで買い物をする予定だったけれど、原田さんが予選で転んだので中止になった。ホント、すごい転倒で、原田さんが全然動かないから、「死んじゃったんじゃないか」って思った。右腕の骨折だけで済んで、ほんとに良かったな。

■1995年6月28日掲載