’95第8戦フランスGP編
ヤマハのメカニックと真剣に打ち合わせをするノリック(カメラ=竹内秀信)
ヤマハのメカニックと真剣に打ち合わせをするノリック(カメラ=竹内秀信)
 予選6番手から、表彰台を取りにいった阿部典史。しかし、コースアウトした上に転倒を喫して、20周リタイアに終わった。ノリックの目にトップグループはどんな風に見えたのか。苦闘のル・マンを振り返る。
 レース前にだれにも言わなかったことがある。それは「絶対に表彰台に立てるゾ」って思っていたこと。予選は6位でも、いける。そう思って今回はスタートラインに並んだ。

 でも、結果は20周目に転倒してリタイア。

 残念だった。悔しかった。12周目に4番手に上がってから2位争いのカダローラとビーティーにどんどん迫っていたし、15周目にバックストレート手前の右ヘアピンで止まりきれずにコースアウトした時は、ホント、アチャ〜と思った。

 あれで7位まで順位を落とした。それからはもう、怖いものなしだった。タイヤはズルズルだったのに、「もう転んでもいいや」ってそれまで以上にペースを上げていったら、フロントから滑って本当に転んでしまった。

 あきらめ切れなくて、やっぱりマレーシアと同じように再スタートした。でも、右側のステップとブレーキペダルが折れていて、そのままピットに帰った。もう、だれとも話したくなくて、悔し涙も止まらなかった。それが治まってくると、今度は、くそっ、あのプライベーターのヤツめ。くそっ、バロスのヤツめって、どんどん怒りがわいてきて仕方がなかった。

 スタートは、ブァ〜ンと行けて、ドゥーハンも抜けそうな勢いだった。でも3列目からフライング気味でスタートしてきたプライベーターが僕とラッセルの前にバ〜ンって入ってきた。ぶつかりそうになったからブレーキをかけてアクセルも全閉。それで遅れて、あげくの果てには、開幕戦からイヤってほど苦しめられているバロスに先行されてしまった。

 僕と一緒に、そのプライベーターのエジキになったラッセルもカンカンだった。抜いていく時に、コノヤローって感じで手を上げていた。

 バロスに先を越されたのは、ホント、失敗だった。だって、バロスはブレーキングでやたらに突っ込んでいくし、ラップタイムは遅いのにブロックラインを通る。「今年はいつでもどこでもバロスが序盤に栓をする」って、みんなも言っている。

 どんどんトップグループに離されて、やっとの思いでバロスをかわした時には、2位グループと4秒から5秒の差がついていた。

 伊藤さんは、バロスを抜いた後に、ホイールのバランスが狂ってペースが落ちたらしい。僕がコースアウトした時にはすぐ後ろにいたんだけど、「なんであんな所でコースアウトしてんだよ」って言われてしまった。落ち着いていけば2位グループに追いついたぞって。でもあの時は自分でも信じられないくらいのところまで突っ込んでいたし、仕方がなかったんだ。

 たぶん、早く追いつこうと焦っていたんだと思う。序盤の遅れを取り戻そうと無理をしたんだと思う。やっぱり、序盤にトップグループにいなきゃなって思った。予選でもっと前にいなくてはいけないなって痛感した。

 転んでしまったし、今さら何を言っても言い訳になってしまうけど、本当に今回は手ごたえあるレースだった。このままどんどん良くなっていけばいいなって思う。バイクにも慣れてきているし、自分が成長してきていることも実感している。

 予選も、初日は8番手だったけど、0・4秒上げれば4位。2日目だって、転倒者が多くイエローフラッグだらけでもタイムを伸ばして6位まで上がれた。予選では41秒5が目標だった(出ていれば3位)。下手すれば40秒台も(出てればPPか2位)狙っていたんだ。

 それもこれも、普段のトレーニングの成果かもね。スペインにいる時は毎日ジムに通って筋力トレーニング。自転車に乗って、1日6kmのランニングもしている。だから予選やフリー走行を目いっぱいに走り続けても疲れなくなった。

 レースが終わって、今回はケニーさんやチームの人も「仕方がない」ってなぐさめてくれた。「頑張ったな」って言ってくれたのは、ホント、うれしかった。

 次のドニントンパーク(イギリスGP)は去年、僕がチーム・ロバーツから初めて出場した場所。たったの3周でスッ転んでケガをしてしまったサーキットだし、本当はイギリスGPなんか来なけりゃいいって思っていた。なのに、いよいよ次になってしまった。

 でも、今年はまだ1回も表彰台に立っていないし、転ばないように頑張って、できれば表彰台に立ちたいなって思っている。そのためにはまず、打倒バロス。「今度こそ、スタートでお前を前に行かせないからな!」って気合を入れているところなんだ。

■1995年7月12日掲載