’95第9戦イギリスGP編
コースでは苦闘も、ヘルメットを脱げばいつもノリック・スマイルがあった=英国ドニントンパークで(カメラ=谷澤昇司)
コースでは苦闘も、ヘルメットを脱げばいつもノリック・スマイルがあった=英国ドニントンパークで(カメラ=谷澤昇司)
 WGP参戦からちょうど1年。阿部典史にとって区切りになるはずのイギリスGPだったが、予選初日の転倒ですべてが狂ってしまった。“夏休み”の帰国を前に、ノリックが思いのたけをぶちまける。
 ほんとうにもう、まったくって感じのレースだった。

 イギリスGPは、去年も3周しただけで転んでいる。今年も、嫌だな、イギリスGPなんか来なければいいと思っていたら、やっぱりって感じの3日間になってしまった。

 最初の災難は、予選1日目に起きた。順位も信じられないくらい後ろの18番手前後。こりゃ、やばいぞって全力で攻めていったら、5速全開の左コーナーでハイサイドで吹っ飛んでしまった。

 その時、僕はニュータイヤのテストをしていたんだ。走り出してすぐにこのコースに合っていないなって感じたんだけど、このタイヤでもとりあえずタイムを出しておかなくてはと思ったら、転んでしまった。ものすごい勢いで吹っ飛ばされて、地面に落ちてからは何も覚えていない。だけど、絶対にどこかの骨を折ったなって思うほどのダメージがあった。

 医務室に運ばれてレントゲンを撮ったら骨折はなかった。でも、全身打ち身だらけ。頭も強く打っていて、その日の夜も翌日も、ずっと頭が痛かった。

 2日目は、転倒の影響で首が痛かった。でも、走るたびにタイムは良くなっていった。ドゥーハンの1分33秒台には程遠かったけれど、最後は予選用タイヤで35秒台前半までポンポンといけた。

 とはいっても、予選13位はグランプリに来て最悪の順位。4列目スタートも初めて。プライベーター2人に前にいかれたのは、超〜悲しかった。

 翌日、決勝のグリッドにつくと、4列目から3列目になっていた。「あれ、どうして?」ってメカニックに聞いたら、「ラッセルがウオームアップで他のバイクにぶつかってケガをしたからだ」って言われて、びっくりした。

 3列目になって良かったなって思うのもつかの間、今度はスタートして9周目にヘアピンでプライベーター(J・ハイドン)にぶつけられた。

 突然、僕の左腕にそのプライベーターがのしかかってくる格好になって、そのままコースアウト。腕が折れそうになるくらい痛かったし、コノヤローって感じで、超〜頭にきた。

 その時、僕はチェカとカピロッシと7位争いをしていた。チェカのイン側にそのプライベーターのヤツが強引に突っ込んできてチェカと接触。その反動で僕の方にそのプライベーターが激突してきたんだ。ぶつかった衝撃で、リアのブレーキディスクが割れていた。2度目のコースアウトは、それが原因だった。

 ピットインしてホイール交換をした。トップから3周遅れだったけど再スタート。コースインしたらちょうど僕の前にルカ(カダローラ)と伊藤さんがいて、僕は周回遅れだったけど、どんどんペースを上げて2人とも抜いてしまった。だから、レースは散々だったけれど、最後はやれることはやったぞって感じで、けっこう気分良く終われたような気がする。

 チェッカーを受けたら、ルカが手を上げて握手もしてくれた。やられたぜって感じで、僕のことをすごく褒めてくれた。ルカは僕が周回遅れだったことを知らなかったみたいだけど、それでもうれしかった。

 実際のところ、もし、あのコースアウトがなかったら4位、カピロッシの前でゴールできたと思う。

 決勝の夜、イーストミッドランド空港のそばのホテルに移って、ヤマハのエンジニアの人たちと近くの街でインド料理を食べた。月曜日にはパリへ。そして3カ月ぶりに日本に帰る。

 出発が2時だったから本当はゆっくり寝ていてもよかったんだけど、いつもの習慣で朝7時に目が覚めてしまった。それからがヒマでヒマで、12時のチェックアウトまで、この手記を書いているというわけなんだ。

 グランプリデビューから、ちょうど1年。去年は初日のフリーで転倒して終わった。今年も散々だったけれど、終わり方は良かったと思う。

 木曜日にはティレル・ヤマハの右京さんと0〜200mの加速競争もした。F1と競争したなんて僕が初めて。注目されてうれしかったし、最後は右京さんと2人でシャンパンファイトもした。本番ではまだ一度もシャンパンファイトはないけど、もうすぐ。次のチェコでは絶対に表彰台に立つぞって、気合を入れているんだ。

■1995年7月26日掲載