’96第11戦チェコGP編
失敗したなあー レース後、反省しきりのノリック(カメラ=笹原和則)
失敗したなあー レース後、反省しきりのノリック(カメラ=笹原和則)
 3戦連続表彰台と優勝の期待が寄せられたチェコGPのノリックは、3列目から絶妙のスタートで1周目に5番手に浮上したが、2周目に痛恨のコースアウト。今季2勝目は夢と散った。しかし、それからの追い上げは鈴鹿の2勝目を感じさせる猛追撃で、最下位24位から11位へ。コースアウトがなければ3戦連続表彰台は確実だった。
 今回は自信を持って、コースアウトしなければ絶対に表彰台に立てたなって言える。でも、言ってしまってから感じるのは、やっぱり「……たら」「……れば」の話はむなしいってこと。むなしいけど、絶対にいけた。

 スタートは3列目の僕とラッセルが抜群だった。125と250のスタートを見て、レッドシグナルが消えるまでの秒数を数えていた。同じ秒数で消えたから500もきっと同じだろうってクラッチをつないだ。ちょっとフライング気味だったけど、予想通りバッチリ決まったんだ。

 1コーナーに入った時は6番手。1周目からすごい競り合い。みんな前に出ようと必死で超〜だんご状態だった。僕の前にはバイルとルカとバロス。後ろにはクリヴィーレ。すかさずバロスを抜こうと思ったらさらにイン側をクリヴィーレが強引にインに入って来る。“待ってよ、おれが今バロスを抜くところなんだから”って思ったけど、時すでに遅く、クリヴィーレのフロントタイヤが僕の足に当たっていた。ああ、ヤバイ。これでクリヴィーレが転んだらオレも転んでしまうって超ビビッた。その時のタイヤの跡がツナギにも残っているし、今思い出してもスゲェ〜危なかった。

 でも、1周目にルカを左のヘアピンで抜いた。2周目も、同じ場所でバロスを抜こうと思った。バロスはいつもアウトにマシンをふってからインに入ってくるのがくせだからすかさずインへ。ところが、前にいたバイルがもたもたしていて、そのうちにバロスがアウトからバ〜ンとかぶせてきた。ああ、ぶつかるってフロントブレーキをガツーンってかけた。バロスがぶつかってきてもいいように体も起こしたら、1mmくらいかわすことができたんだ。でも、あまりにも強烈にフロントブレーキをかけたから、ジャックナイフ状態になった。着地したらリアタイヤが大暴れ、そのまま真っすぐコースアウトしてしまった。

 ヘアピンの外側は砂利。しかも深くて軟らかいのでアウト側のグリーンまでいったん出て、コースへ戻ることにした。コースに復帰した時はビリッケツ。一番後ろの選手も見えないくらいで、それから孤独な独り旅、終わりのない旅が続くことになったんだ。

 たったひとりだからペースも分からない。今までならこんな感じで遅れると気が抜けた。気が抜けるのにペースを上げようとするから転んでしまうか全然ペースが上がらないかのどちらか。それがどんどんいいペースで走ることができたんだ。

 1周に1台から2台を抜いていく。中盤には24位から13番手に浮上。その時には前を走るライマーとプーチは10秒以上も先を走っていた。もう絶対に届かないと思ったけれど、最後まで気合いを入れた。そうしたら最終ラップに抜くことができたんだ。

 結果はコースアウトから13台抜きして11位。自分でも感心した。路面コンディションがあまり良くなくて全体的に去年よりタイムは遅かった。僕もフロントのセッティングが決まっていなくて、パーフェクトな走りには程遠かったけれど、内容的には良かったと思う。

 今回の予選は3列目。イギリス、オーストリアでは2列目だったから、ちょっとがっかりした。チームメートのケニーJrとバイルは「B」というソフトコンパウンドを使って予選を走ってフロントロー。僕も「B」を使って予選を走りたかったけれど、チーフエンジニアのシンクレアさんがそんなの意味はない、本番で使えないタイヤで走ってどうするんだって。でもやっぱりオレは「B」で走りたかった。だからピットインする度に「B」「ビ〜」「ビィー」って言っていた。

 でも、シンクレアさんの言う通り、予選で焦らなくても今回は表彰台に立てたレースだった。スタッフのみんなもそう思ってくれていたし、立てなかったのは完全な僕のミス。だから、ピットで「アイムソーリー」ってみんなに謝ったんだ。

 最後になったけれど、JMSF’96で、僕のヘルメットに50万円の値段がついたと聞いて、超〜ビックリ。何だか申し訳ないような気がするし、ヘルメットをお渡しする時に何かほかのプレゼントをしたいと思っています。それにしても、JMSFの特別大賞をいただいた日にいい結果を残せなくてすいません。次のイモラGPでは、今回の分までもガンバリマスので応援よろしくお願いします。

■1996年8月21日掲載