第3戦スペインGP編
悔しさいっぱい。それでも9番グリッドから一時は3位まで追い上げたノリック=写真は日本GPのもの(カメラ=嶋邦夫)
悔しさいっぱい。それでも9番グリッドから一時は3位まで追い上げたノリック=写真は日本GPのもの(カメラ=嶋邦夫)
 表彰台まであと一歩。阿部典史のスペインGPは、見ている者を最後まで興奮させる激しい戦いだった。S・ジベルノー、岡田忠之とのシ烈な3位争いはノリックが“トップ”に立って最終ラップに−−。しかし、皮肉にもこの瞬間、テレビの映像はA・クリヴィーレとM・ビアッジの優勝争いに切り替わった。そして、戻ってきた3台はジベルノーが先頭でゴールへ……。パドックからもっとも遠いヘアピンで一体何が起きたのか。ノリック自身が真相を明らかにする。
 こんなに悔しいレースは、本当に久しぶりだった。最近いちばん悔しかったのは、スポット参戦で急きょチームメートになったカダローラに負けた去年のフランスGPだったけれど、あのレースと同じくらい今回は悔しかった。

 だって、オレは3位になるはずだった。セテ(ジベルノー)にも岡田さんにも抜かれないと信じていた。それが最終ラップのバックストレートのヘアピンでセテに抜かれ、その先のコーナーで岡田さんにも抜かれてしまった。

 一体、何やってんだって感じ。相手を甘く見ていたっていうか、自分に自信がありすぎたっていうか……。自分のツメの甘さに、ホント、腹が立って仕方がなかった。まさか、あそこで抜かれるとは思わなかった。というよりも、最終ラップも絶対に抑える自信があった。なんでかっていうと、僕はスタートで遅れたが、あの2人にどんどん追いついていった。そして余裕で抜くことができたし、抜いた後も、後ろの2人は何とかやっとついてきてるって感じだった。それが最後の最後にやられてしまったのは、セテとの接触が原因だった。

 冷静に考えれば回避できたはずだった。右のヘアピンのインに突っ込んできたセテに焦って、僕もインに張り付くような格好になった。それで彼とぶつかってしまったんだ。あとでよく考えれば、セテをあっさりやり過ごせば、自分は余裕を持ってベストラインで立ち上がれた。クロスラインでぶつかることもなかったし、抜かれていても抜き返すことも可能だった。それが、セテに抜かれた瞬間、妙に焦ってしまったんだ。まったく、なにやってんだろうって、自分で自分が嫌になってしまった。

 レースを終えたセテのマシンには、あちこちぶつかったあとがあった。それだけ彼も地元GPで必死だったという証拠だろう。でも、スペインGPは、僕のチーム「アンテナ3」にとってもホームレース。スポンサーもスペイン。チームスタッフもぜんぶスペイン人。ゲストだけで200人はいたし、それだけに残念だった。あのまま3位でゴールできていたら、みんながどんなに喜んでくれたことだろうって思う。いいレースだったって言ってくれたけれど、関係者は僕以上にガックリきていたんじゃないかと思った。

 悔しいのはツメの甘さだけではなかった。これまで僕はバトルには自信があった。競り合えばほとんど負けたことがなかったが、今回は負けてしまう。とにかく侮しかった。完全に自分のミスだけに、怒りの持っていき場がない。ただ自分を責めるだけ。地元のGPに闘志を燃やすセテがすごかったというよりも、自分がだらしなかっただけ。

 でも大きな収穫もあったんだ。今回は3列目からのスタートで、1コーナーでビアッジの後ろにつくことができた。結局、離されてしまったけれど、その速さの秘けつが後ろから見ていて分かった。それは混戦からの抜け出し方だった。1周の速さでは何も変わらない。スタート直後も同じところにいたのに、ビアッジはクリヴィーレと優勝争いをした。僕はセテと岡田さんと3位争い。どこにその差があるのかが、今回は何となく分かったような気がしたんだ。それは、これから経験の中で試していかないといけないことだけど、スタートで前に出られなくても、優勝争いに加われる気がした。

 今回は、ミックがケガをしたことも、残念なことだった。ミックがいなくなってどう? と聞かれても、それに答えるのは本当に難しい。今までよりも簡単にトップが狙えるという気持ちもあるし、正直、チャンスだとも思う。でもミックは、僕が94年にグランプリに出場してからずっとチャンピオンで、目標にしていた選手だから、自分の将来のことを考えたり、GP全体のことを考えると、本当に残念。半面、ミックがいなくなって、グランプリのレベルが低くなったと思う人がいたら、それがちょっと嫌だなあとも思った。

 僕はミックと年が離れているから、素直にすごさを認められる。いつでもどこでも速い選手なんて、ミックだけだった。今日からバレンシアで合同テストが始まるけど、ミックのように、いつでもどこでも、速く走れるように今日からまた、頑張ろうと思っている。

■1999年5月12日掲載