第6戦カタロニアGP編
表彰台を独占したホンダ勢に必死に食らいついて行ったノリック。バロス、クリヴィーレを追走する序盤の戦い(カメラ=竹内秀信)
表彰台を独占したホンダ勢に必死に食らいついて行ったノリック。バロス、クリヴィーレを追走する序盤の戦い(カメラ=竹内秀信)
 力タロニアGPの予選は、トップから13位までが1秒差以内という大接戦となった。その中で6番手につけた阿部典史は、わずか1周でリタイアした前戦イタリアの雪辱に闘志を燃やした。気合満点のスタートではホールショット(1周目の1コーナーにトップで飛び込むこと)こそ逃したが、M・ビアッジに次ぐ2番手。一時は6番手まで落ちたが、中盤には再びトップグループへ。結果は転倒リタイアに終わったが、その走りは手ごたえ十分。オランダ、イギリスと休む間もなく続く3連戦の残り2戦に、大きな期待を膨らませた。
 予選が終わった時に、とにかく今回は、1周目だけは気を付けようと思った。だって前回のイタリアGPは、生まれて初めてスタートして1周目に転倒を経験したからね。だから、今回は絶対にイタリアの失敗を繰り返さないようにと、心に誓っていたんだ。

 予選は2列目6番手。とはいっても大接戦。タイムこそ6番手だったけれど、そのベストタイムでコンスタントに走ることができたし、十分に優勝を争える内容だと思っていた。

 で、スタートは今回もバッチリ。今回もホールショットはいただきだと思ったら、ビアッジに抜かれてしまう。でも、序盤は慎重に走ろうと思っていたし、無理をしないで付いて行こうと思った。

 ところが、ストレートでエンジンの伸びがない。ガソリンが満タンで乗りにくいということもあって、コーナーでも無理ができない。それでバロスに抜かれ、クリヴィーレに抜かれ、セテ(ジベルノー)と岡田さんにも抜かれてしまう。絶好のスタートにもかかわらず、ビアッジに1コーナーで抜かれたのも、エンジンの伸びがなかったのが原因だった。

 そんな状態でトップグループにじりじり離されてしまう。でも、ガソリンが軽くなってだんだん自分の走りを取り戻し、ペースも上がった。トップグループもそんなに速いペースではなかったし、どんどん追い付くことができたんだ。

 その間に、バロスが転んでビアッジが転ぶ。トップグループはレプソル・ホンダの3台。でも、追い付いてみると、やっぱりエンジンが伸びない。朝のウオームアップでエンジンの電気系にトラブルが出てセッティングを詰められなかったことが原因。だからストレートで離された分、プレーキングとコーナリングスピードで無理をしなければいけなかった。

 そのうちにトップにいた岡田さんがペースアップ。僕の前にいたセテが少し遅れ気味で、早く前にいかなくちゃと焦ってしまった。転んだ周回(18周目)は、ちょっとセテに離され気味で、それを取り戻そうと、1コーナーで無理をしてしまった。いつもよりブレーキングも深くて、フロントからあっという間に転んでしまったんだ。

 でも、今回はやるだけやったなって自分でも納得のいくレースだった。転んだ後にテレビカメラに映った僕の顔を見て、“いい顔してた”と言ってくれる人もいた。それくらい完全燃焼したレースだったかもしれない。コースオフィシャルのバイクに乗せてもらってピットに戻って来る時も、観客席からすごい声援をもらった。ピットに戻るまでずっと手を振っていたから、ホント、腕が疲れてしまったんだ。

 予選前日にはバルセロナ市内のデパートで僕のスポンサーのイベントに出席した。自分でもビックリするくらいのファンが駆け付けて1日中サインを書き続けた。さすがに僕にとってはスペインは第2のホームグランプリなんだなって実感した。

 レースが終わった日の夜は、原田さん夫妻と、日本から応援にかけつけてくれた友達と、レースを見に来た父とで、僕の住んでいるバルセロナ郊外のシーチャスで食事をした。原田さんは今回4位。でも、トップグループに離されてしまったし、あまり納得した表情ではなかった。

 その夜、原田さん夫妻は僕の家に泊まっていった。翌日は家の庭でバーベキューをした。レース前から僕の家に泊まる約束をしていたんだけど、今回は僕の成績が悪かったので、原田さんが気を使って、きっと来にくいんじゃないかなって心配していた。でも、「アベ残念だったな。次はお互い頑張ろうぜ」って言ってもらって、すごく楽しい時間を過ごすことができたんだ。これで気分よく今週のアッセンに行けると思った。

■1999年6月23日掲載