第12戦バレンシアGP編
出発前、自宅のあるシーチャスは大洪水に見舞われた(カメラ=遠藤智)
出発前、自宅のあるシーチャスは大洪水に見舞われた(カメラ=遠藤智)
 9月7日に24歳になった阿部典史。誕生日後、初レースの第12戦バレンシアGPは、初日に参戦以来72戦目にして初めて暫定PPを獲得する記念すべき戦いとなった。だが、予選2日目はアタックのタイミングを逃して6番手に急降下。決勝でも予想外の雨に見舞われ、セッティングが決まらず6位に終わった。出発前には大洪水に襲われ、レースもウエットで不振と、まさに“雨らめし”のヨーロッパ最終戦だった。
 今回のレースをひとことで言い表せば、ホント、運にもツキにも見放されたって感じだった。ちゃんと走っていたら、予選ではポールを取れたと思うし、決勝でも晴れていたら優勝争いができたはずだったのに……

 今回は初日から絶好調だった。初日のフリー走行では、まったく違う仕様の2台のマシンを乗り比べた。1台はこれまでと同じもの。もう1台は、車体のセットを大きく変えたもの。そういう状況で、まったくアタックしていなかったのに、6番手。結論は、新しいセッティングを詰める時間がないので、これまでのマシンで行こうということだった。

 午後の予選で、さあて、それじゃ細かいセッティングをどうしようかと考え始めた。だから全然攻めずに、自分ではまだまだいけると思っている状態でのトップタイム。2日目のフリー走行も、同じような状態でトップタイム。どうしてもポールポジションを取ろうという強い気持ちはなかったけれど、これだけ調子がいいと自然と“取れる”自信も、取って当然という気持ちにもなれたんだ。

 でも、最後の予選で小さなトラブルが出た。それでアタックができなくてポジションが落ちていく。ちゃんと走ることができたのがラストの5分。取りあえずアタックに挑んだが、コース終盤でコースアウトしてしまう。そこまでの区間タイムがトップだっただけに、本当に残念な結果に終わってしまった。

 今にして思えば、ここで流れが変わってしまったのかもしれない。確かに天気も下り坂だったけれど、まさか決勝日が雨になるとは……。でも、ツインリンクもてぎの日本GPではいい走りができたし、まあ、雨でも頑張ろうと気持ちを入れ替えた。

 ところが、朝の20分間のウオームアップでは、これがまったくグリップしない。もてぎのように走れなくてポジションも14番手。精いっぱい走ってこのポジションだっただけに、このままウエットで決勝を迎えたらどうしようかと頭を抱えてしまった。

 結局、打開策を見つけられれないまま決勝へ。雨は小降り。路面が少しずつ乾いていくという難しい状況になっていた。ジュニア(K・ロバーツJr)は、グリッドに着くまでレインだと思っていたというけれど、僕はスリックかカットスリックかで悩んでいた。でも、雨はポツポツ落ちているし、スリックはあまりにもリスクが大きい。実際、グリッドに着くと、レッドブルのラコーニとマッコイ、そして岡田さん以外は、全員、リアにカットスリックを選んでいた。

 まあ、これで勝負はついていた。優勝したのはスリックを選んだラコー二。2位争いも岡田さんとマッコイ。そこにカットスリックで頑張ったジュニアが絡んでいくという展開だった。終盤までそこで頑張っていたクリヴィーレは転んでしまうし、僕は僕で全然ペースを上げることができなかった。

 スタートして2周目にビアッジを抜いて4番手に。4周目にクリヴィーレを抜いて3番手に。その翌周にマッコイに抜かれて4番手にダウン。それからしばらくは、ジュニアとクリヴィーレとチェカを抑えて走ったけれど、まったくグリップしないタイヤとの格闘だった。

 本当に残念。晴れてくれたらと何度、思ったことだろう。確かに、バレンシアに向かう直前から、天候は不安定だった.バルセロナとバレンシアは近いから天喉も似ている。バレンシアに向かう直前、バルセロナも大雨に見舞われて、僕の住んでいるシーチャスも市内が大洪水になっていた。でも、土曜日までは晴れていたし、まさか決勝になって雨になるとは夢にも思わなかったんだ。

 レースが終わった後の夕方の青空が、何だか腹立たしかった。雨のレースは、いつも終わるとカラリと晴れ上がるものだけど、僕の心の中は曇ったままだった。でも、次のオーストラリアGPは僕が得意とするサーキットのひとつ。南半球で今回の悔しさを晴らそうと思った。とにかく、予選でしっかりと力を出せるようになって来たし、今度こそと思っているんだ。

■1999年9月22日掲載