第9戦ドイツGP編
トップを猛追する快走を見せていたノリックだったが、6周目に“悲劇”が…
トップを猛追する快走を見せていたノリックだったが、6周目に“悲劇”が…
 26年ぶりにドイツGPが開催されたザクセンリンクは、ヨーロッパでは珍しい左回りコース。そのため左コーナーが多く、“左コーナーでは世界最速”と言われる阿部典史への期待が高まった。初日はその定評通り、フリー走行2番手、予選3番手と絶好の出だし。しかし、ドライコンディションになった予選では2度の転倒を喫して8番手に沈む。決勝は2列目から素晴らしい追い上げを見せたのだが……。
 今回くらい、転んで悔しいと思ったのは初めてだった。残念を通り越して、自分が情けなかった。ああ、やってしもうた、って感じのレースだったんだ。

 スタートは2列目で、1周目は9番手と出遅れた。いつもならここで焦って、何か失敗してしまうんだけど、今回はすごく乗れていた。みんなどうしてこんな遅いんだって思うほどだったし、あっという間にトップグループに追い付くことができた。2周目にクリヴィーレを抜いて、その次にラコーニ、そしてジベルノーとどんどん抜ける。

 ここは抜きにくいサーキットだってみんな言っていたし、実際に抜きにくそうにしていたけど、僕にはそんなこともなかった。前を走っているジュニア、クラファー、バロス、ビアッジ、ドゥーハンの5人も、この調子なら……と思っていたんだ。

 ところが、6周目に悲劇が起こる。コース中盤の、上り坂の頂上にある左直角コーナーでフロントからスパッと転んでしまった。予選でもそうだったけれど、このサーキットは路面が新しいせいか、限界のつかみづらいコースだった。

 転んだ時は、自分が今どこにいるのか全然分からなかった。立ち上がってコースサイドに出てみたら、パドックに一番近いコーナーだった。そこから歩いてピットへ。今回は完全に自分のミスだったし、チームのみんなに「ごめんなさい」と謝ったんだ。初日からこんなに調子のいいレースは初めてだったし、チームのみんなもすごく期待していた。それがこんな結果になって、本当にごめんなさいって気持ちだったんだ。

 予選だって、転ばなければ、絶対にポールポジションが取れたと思う。それくらい全然余裕で走っていたし、どうして転んでしまったのか自分でも分からないくらいだった。そして決勝でも、周りが超遅く感じたし、あのまま走っていたらって思った。

 スタートでラコーニに完全にブロックされたのも痛かった。ダミーグリッドからウオームアップに出る時に、前列のラコーニの右側をズバッと抜いて前に出た。それがあってラコーニは、本番のスタートでは、マシンを意識的に右に寄せて僕をブロックした。それでアクセルを戻さなくてはいけなかったし、いつも通りのロケットスタートで前に出ることができなかった。今までこんなことするヤツはいなかったし、手の内を見せてしまったかなって思った。

 それにしてもザクセンリンクはすごい観客だった。6万4千人といっても、サーキットが小さいからもうパンパンの状態。パッドクもスペースがないから、選手たちのモーターホームのエリア、チームのホスピタリティーの場所があちこちに分散していて大変だった。それぞれのスペースには一般の観客は入って来れないようになっているんだけど、移動の時にファンに捕まってしまう。だから今回はサングラスを掛けて視線を合わせないようにした。申し訳ないと思いながらも、今までで一番サインをするのが少なかったような気がした。

 レースが終わった翌日、この悔しさを次のチェコGP(8月23日決勝)にぶつけようということで、ブルノのテストに向かった。ドレスデンからミュンヘンへ。さらにウィーンへと小刻みに飛行機を乗り継いで7時間。ザクセンリンクからブルノサーキットまでクルマで行けば5時間くらいだから、飛行機の方が時間がかかってしまうという面倒なフライトだった。それだけじゃなくて、いつもは簡単にビザが取れるチェコの国境で、今回は写真がないとダメだって言われた。仕方がないので、20kmnくらいウィーンの方向へ引き返して写真を撮り、また戻るという面倒なことになってしまった。でも、8月15日からチェコはビザがいらなくなるって聞いたから、いい思い出にはなった。

 ドイツGPの後に、チェコGPの行われるブルノでテストすることは、開幕当初に決まっていた。ブルノは得意なサーキットだし、チームも自分もここで絶対に勝とうと意気込んでいる。マドリードで2位、イギリスで3位と調子は上向いているから、今度こそは絶対に一番高いところに立とうと思っている。テストは水曜日から2日間。これが終わると夏休みだ。日本に帰って、8月に2回行われるノリック塾(2、9日。埼玉県・秋ケ瀬サーキット)の校長先生として頑張ろうと思う。

■1998年7月22日掲載