第11戦イモラGP編
レース中盤になって痛恨のコースアウトを喫してしまったノリック=写真は日本GPのもの(カメラ=野間智)
レース中盤になって痛恨のコースアウトを喫してしまったノリック=写真は日本GPのもの(カメラ=野間智)
 フロントローこそ逃したが、2列目5番手からイモラGP決勝に挑むことになった阿部典史。序盤はトップグループにつけたがジリジリと優勝争いから後退。チームメートのJ−M・バイルとA・バロスとし烈な4位争いを演じた。しかし、レース中盤になって痛恨のコースアウト、4位争いからも脱落して悔しい6位に終わった。だが、終盤には好タイムを連発してラストラップには自己ベスト。表彰台にこそ立てなかったが、22歳最後のレースを見事に締めくくった。
 今回のレースは、ドゥーハンが逃げて、それをクリヴィーレとビアッジが追う。それから少し遅れて、僕とバイルとバロスが激しく4位争いを演じるという戦いだった。スタートはそんなに悪くはなかった。でも、前を走るバイルをなかなか抜けない。イライラしているうちに、トップの3人がジリジリと逃げていく展開だった。

 どうしてバイルを抜けなかったかというと、それは僕の後ろにいるバロスがちょっかいを出して来て、バイルを抜くことに集中できなかったからなんだ。あいつはブレーキングが鋭いから、立ち上がり重視のラインを通ろうとするとすぐに抜きに来る。それでバイルを抜きたいけど、バロスを前に出すのも嫌だなっていう感じの序盤になってしまったんだ。

 おそらく、予選2位のバロスにして見れば、僕とバイルが邪魔でイライラしていたんだろうと思うけれど、それはバイルの後ろを走る僕も同じで、バイルの後ろでイライラする二人が、し烈な戦いを演じていたんだ。だから、バロスに僕は2回抜かれたけど、そのたびに抜き返した。でも、3回目に抜かれて、コンチクショーって抜き返そうと思ったら、最終コーナー手前のシケインで、コースアウトしてしまったんだ。

 イモラの最終コーナーの左から右へと続くシケインは、曲がらないで真っすぐ行くとピットロードの入り口になっている。だから、止まり切れないと思った時に、真っすぐ行っても良かったんだけど、もし、ピットロードを突っ切ってしまったら周回数がカウントされないんじゃないかと思って、ピットロードから進路を変えてグラベルを突っ切ってコースに復帰したんだ。

 後で聞いたら、あのままピットロードを突っ切っても良かったみたい。でも、あの心理状態では、おそらく制限速度の85kmを守ることなんてできなかったし、ペナルティーでもう一度ピットインすることになっていただろうから、コースの復帰には手間取ってしまったけれど、あれはあれで良かったんじゃないかなって思ったんだ。

 でも、それまで後続のグループと11秒の差があったのに、コースアウトしたためにその差がなくなった。ここまで11秒も離して来たんだから絶対に抜かれることはないって思ったし、それからは落ち着いて走ることができたんだ。前も離れてしまったし、後ろにも抜かれる心配はない。それでいろいろと試してみることにした。ブレーキの掛け方。アクセルの開き方。ライン取り。とにかくいろんな走り方をトライしていったら、どんどんタイムが上がっていく。それが面白くて、最後の周には、それまで良かったことを全部トライしてみたら、それまでの壁だった1分50秒をクリアすることができたんだ。

 だから、走っていて楽しかった。あの走りが最初からできていたら絶対に優勝争いに加われたと思うし、予選でも、ああいう走りができたらと思った。確かに、6位という結果には満足していないけど、最後は納得のいくレースになったと思ったんだ。

 今回は、僕の22歳の最後のレースだった。決勝の翌日(7日)に23歳になったんだけど、ああ、22歳のころは若かったなって思った。僕が初めてグランプリを走ったのは94年で、まだ18歳だった。思い返せば、あのころはなんて小僧だったんだろうって思う。気持ちはあまり変わってないけど、成績があまり変わっていないのは、すごく悲しいことだと思った。

 それに、その小僧のころに僕にグランプリに来ないかって声を掛けてくれたレイニーさんと一緒にレースができるもの、残り少なくなって来た。それで予選が終わった後にレイニーさんに、グリッドに来てほしいって頼んだ。今までは、車イスだったし、大変だろうと思って言わなかったけれど、チーム・レイニーで走って来た思い出に、レイニーさんとグリッドに立ちたいと思ったんだ。でも、今回はグリッドパスを用意していなくてそれが実現できなかった。今までそんなことは考えてもいなかったってレイニーさんは言っていたし、だから、次のレースではグリッドに行くからって約束してくれたんだ。

 どうせ来てくれるなら、やっぱりポールポジションが取りたい。それで勝てたらもっといい。レイニーさんが来てくれるのは、次のバルセロナと最終戦のアルゼンチンになるけど、残り4戦、レイニーさんだけじゃなくて、これまで応援してくれたみんなのためにも、絶対にいい成績を残そうと今まで以上に心に誓ったんだ。

■1998年9月9日掲載