“コカ・コーラ ゼロ”鈴鹿8耐特別編(8)

今年、鈴鹿8耐4勝目を狙う高橋巧!ホンダのエースライダーとして、ファンの期待を一身に背負っています(鈴鹿サーキット提供)
“コカ・コーラ ゼロ”鈴鹿8耐(鈴鹿8耐)は、大勢の観客が鈴鹿サーキットに訪れる国内最大のバイクイベント。世界中からトップライダーが集結し、8時間のレース中には、急激な天候の変化が襲います。速さも性能も違うバイク同士が競い合うバトルはスリリングで、昼から夜へ刻々と変わる時間のすべてに危険が潜み、緊張感に支配される過酷な戦いです。そんな鈴鹿8耐には、魔物が住んでいると言われます。勝利目前で起きるアクシデント、トラブルや転倒が起きた時に、人々は、魔物が…のフレーズを口にします。これは、鈴鹿8耐優勝への険しさを表す言葉でもあるのだと思います。
たった一つしかない勝者の座を夢見て、夏が来る度に、何度も何度もチャレンジして、それでも勝てないライダーの方が圧倒的に多い。2度も世界耐久選手権チャンピオンに輝いた北川圭一も「レース人生で悔いがあるとすれば8耐を勝てなかったこと」だと。全日本ロードレース選手権TT−F1のV2チャンピオンの辻本聡も「ライダーとして8耐優勝の勲章がほしい」と熱望しながら勝てなかった。全日本最高峰クラス500のV3チャンピオン藤原儀彦も、2度も全日本スーパーバイクチャンピオンに輝いた吉川和多留も…。
たった一つしかない勝者の座を夢見て、夏が来る度に、何度も何度もチャレンジして、それでも勝てないライダーの方が圧倒的に多い。2度も世界耐久選手権チャンピオンに輝いた北川圭一も「レース人生で悔いがあるとすれば8耐を勝てなかったこと」だと。全日本ロードレース選手権TT−F1のV2チャンピオンの辻本聡も「ライダーとして8耐優勝の勲章がほしい」と熱望しながら勝てなかった。全日本最高峰クラス500のV3チャンピオン藤原儀彦も、2度も全日本スーパーバイクチャンピオンに輝いた吉川和多留も…。

鈴鹿8耐初優勝を飾った2010年の表彰台(鈴鹿サーキット提供)
そんな数々のレジェンドが涙をのんできた鈴鹿8耐に、現ホンダのエースライダー高橋巧は、2008年初出場(ペア小西良輝)を果たし、いきなり3位表彰台を獲得。それも、第2ライダーの安田毅史がレースウィークにケガをして、急遽、第3ライダー登録の高橋が起用されたのです。当時18歳の高橋は、ぶっつけ本番で単独アタックの最終予選“トップ10トライアル”に向かうとき、心臓がドキドキと脈打つ音が聞こえそうなほど、緊張した面持ちでした。彼がタイムアタックの際に流した曲は、Aqua Timezの「虹」。サビの「大丈夫だよ〜」という歌詞が、ぴったり過ぎだよ!と思ったのを覚えています。翌年2009年もジョシュ・ブロックスが事前のレースでケガをしてしまい、高橋が代役に起用され、亀谷長純と組んで3位となり連続表彰台。
2010年には代役ではなく、勝利を期待されるライダーとしてMuSASHi RT HARC-PRO.から参戦、清成龍一と組んで初優勝を飾ります。大きくセッティングが変更されたマシンを乗りこなし、尊敬する清成と表彰台の真ん中に立ちました。初優勝に高橋は感涙、本人はもらい泣きと言っておりましたが、あまり感情が表に出ない高橋の涙に、ファンの胸はキュンと鳴っておりました。翌年2011年も、玉田誠、岡田忠之という大先輩と組んで3位と、4年連続表彰台獲得、表彰台確率100%と驚異的な結果を残しました。
2012年に連続表彰台記録が途絶えましたが、2013年にはレオン・ハスラム、初参戦のマイケル・ファン・デル・マークと組んで優勝を飾ります。これまでの鈴鹿8耐では、先輩ライダーがいて、高橋は与えられた仕事をこなすといったイメージでしたが、この年は、高橋がチームをまとめ、引っ張り、的確な判断と速さで、4回もの走行をこなし確実にチームを勝利に導きました。2014年も同メンバーで連続優勝を成し遂げるのですが、不順な天候の影響でウェットからドライが繰り返される難しいレースとなったなかで、高橋の力量が示されたのです。ホンダ不動のエースとして存在感を示しました。
2015年は、ケーシー・ストーナーとマイケル・ファン・デル・マークと挑みますが、ケーシーの転倒で結果は残らず。今年はマイケルとニッキー・ヘイデンと参戦。
高橋ほど、鈴鹿8耐と相性が良く、愛されているライダーはいないのではないかと思います。でも、愛されるには、それなりの理由があります。高橋は転ばないのです。それは、鈴鹿8耐において最も重要な要素。そして強靭な体力が生む集中力が速さを支え、ぶれることがないのです。現在、最多優勝は5回の宇川徹。4勝を挙げているのはワイン・ガードナー、伊藤真一、清成の3人のみ。高橋は過酷な鈴鹿8耐という舞台で進化し輝きを増して来たライダー。今年も進化を見せ、魔物の手を逃れ、ライバルを蹴散らし、4勝目を掴みに行こうとしています。
2010年には代役ではなく、勝利を期待されるライダーとしてMuSASHi RT HARC-PRO.から参戦、清成龍一と組んで初優勝を飾ります。大きくセッティングが変更されたマシンを乗りこなし、尊敬する清成と表彰台の真ん中に立ちました。初優勝に高橋は感涙、本人はもらい泣きと言っておりましたが、あまり感情が表に出ない高橋の涙に、ファンの胸はキュンと鳴っておりました。翌年2011年も、玉田誠、岡田忠之という大先輩と組んで3位と、4年連続表彰台獲得、表彰台確率100%と驚異的な結果を残しました。
2012年に連続表彰台記録が途絶えましたが、2013年にはレオン・ハスラム、初参戦のマイケル・ファン・デル・マークと組んで優勝を飾ります。これまでの鈴鹿8耐では、先輩ライダーがいて、高橋は与えられた仕事をこなすといったイメージでしたが、この年は、高橋がチームをまとめ、引っ張り、的確な判断と速さで、4回もの走行をこなし確実にチームを勝利に導きました。2014年も同メンバーで連続優勝を成し遂げるのですが、不順な天候の影響でウェットからドライが繰り返される難しいレースとなったなかで、高橋の力量が示されたのです。ホンダ不動のエースとして存在感を示しました。
2015年は、ケーシー・ストーナーとマイケル・ファン・デル・マークと挑みますが、ケーシーの転倒で結果は残らず。今年はマイケルとニッキー・ヘイデンと参戦。
高橋ほど、鈴鹿8耐と相性が良く、愛されているライダーはいないのではないかと思います。でも、愛されるには、それなりの理由があります。高橋は転ばないのです。それは、鈴鹿8耐において最も重要な要素。そして強靭な体力が生む集中力が速さを支え、ぶれることがないのです。現在、最多優勝は5回の宇川徹。4勝を挙げているのはワイン・ガードナー、伊藤真一、清成の3人のみ。高橋は過酷な鈴鹿8耐という舞台で進化し輝きを増して来たライダー。今年も進化を見せ、魔物の手を逃れ、ライバルを蹴散らし、4勝目を掴みに行こうとしています。

チームを引っ張る立場で望んだ2013年。見事責任を果たし、優勝を飾りました(鈴鹿サーキット提供)