新型コロナウイルスの影響から、他のスポーツイベントと同様、全日本ロードレース選手権もスケジュールが大幅に変更され、8月9日、10日に宮城県のスポーツランドSUGOで開幕を迎えました。ガイドラインに沿った感染対策を行った上で、観客を迎えての開催です。チーム関係者も報道陣も、パドックに入る人々は、毎日、問診票を提出して体温測定を実施してサーキットに入りました。開幕を待ちわびていた私たち含めた関係者は、勇気ある決断で開催に踏み切ってくれた、主催者であるスポーツランドSUGOへの感謝しかありませんでした。

 今季に賭けるライダーたちの思いは強く、開幕が遅れてレース数も半数近くに減り、短期決戦になったことも影響してか、緊張と期待の入り混じった空気感でした。
 開幕戦はいつも転倒が多く出るように思います。今季から新設されたST1000決勝も、多くの転倒者が出ました。

 前日の予選は雨で決勝は晴れという、ライダーはライディング、チームスタッフはセッティングを変更せなければならず、より負担が掛かる状況となったことも影響していたのかもしれません。

 ST1000クラス決勝レースの5周目シケインで、アクシデントが起きました。岩崎哲朗選手が転倒、そこに後続が絡んで多重クラッシュとなります。その後も転倒が続き、赤旗中断となる慌ただしい展開で、その事故の深刻さを知るのは事故よりも後になりました。

 レース後、プレスルームで岩崎選手が重体だという話が出ました。それでも、岩崎選手は転んでも笑顔で立ち上がる強靭さが魅力のひとつで、大丈夫、復活すると信じていました。そして、岩崎選手が亡くなったとの情報が届き、SUGO広報に確認を取ったりと、深夜23時を過ぎて最後のひとりになるまで残り、プレスルームを出ます。ですが、何十年も通ったSUGOで道に迷い、出口に辿り着けず、そこで自分が動揺していることに気付き、驚きました。

 岩崎選手がST600に参戦していた2012年、第6戦スポーツランドSUGOで予選ポールポジションを獲得し、決勝でもトップを走り初優勝目前、シケインで転倒してしまい勝利をフイにしてしまいます。そのレースで3位に入った井筒仁康選手は、チームメイトだった岩崎選手の転倒を知り、表彰台の前で泣き、集まったスタッフも同様に泣きそうな暗い表情。会見でも「岩崎選手が勝ってくれると思ったのですが。残りまだチャンスがあると思うので、一緒にいいレースがしたい」と語りました。井筒選手は元ワークスライダーで、鈴鹿8時間耐久ロードレースの覇者。クールなイメージが強かったので、その様子に驚きました。そんなにみんなに愛されている岩崎選手ってどんなライダーなの?と取材に出かけたのが最初でした。
 栃木県足尾町(現日光市)で生まれ、「山の中の人口2000人くらいの小さい町で、活気がないから、夢を追い掛けて頑張っているぞって、みんなに伝えたかった」と、諦めていたライダーになる夢を再び目指したのが29歳の時。結婚して子供もいましたが、背中に大きく「夢」という文字を入れ、その夢を掴みかけ、勝つまではとの約束を果たせそうだったのです。

 闘志あふれるライディングと底抜けに明るい性格、レースできることに感謝する謙虚な姿勢、家族の献身的な支えもあり、少しづつ岩崎選手を応援する人が増え続けていきました。2016年にはスポンサーがつくようになり、背中の「夢」の文字に変わってスポンサー名を背負いました。昨年、岡山国際のJGP2クラスで2位表彰台に駆け上がり、「チーム立ち上げ4年で、やっとです。もう孫も生まれてじいちゃんライダーだけど、まだ頑張りたい」と、まだまだ夢を追い掛けていました。

 「12年のSUGO、勝ったと思った瞬間に転んでいた。あのときに勝っていたら、辞められたかもしれない」と言う岩崎選手の、悔しさを滲ませながらも闘志あふれる笑顔が印象に残っています。
 トレードマークのちょんまげスタイルも、レース資金捻出のため床屋代を浮かしているからで、奥様に両サイドを刈ってもらって、真ん中の髪を結んでいました。侍を思わせる眼光の鋭さは、昔、いじめられていた自分を鼓舞し、高校時代にボクシングを始め、県のチャンピオンにまでなった闘志からくるもの。

 ライダーに憧れ、段ボールや葛木を加工して膝に巻き付け、自転車で走り回った少年時代。念願のバイクを手に入れるも、バイクを止めておいた納屋が火事になり、号泣しながらバイクを取り出そうとしてまわりから止められたこと。岩崎選手の生い立ちは、劇的であきれるくらいバイクへの思慕を感じさせるもので、引退後は本にまとめさせてねと約束したのは、昨年でした。
 葬儀では、全力で支え続けた奥様のご挨拶文が読み上げられました。「熱くて真っすぐな性格の夫は、何事にも真剣に取り組み、常に全力でぶつかっていたものです。また、人を笑わせるのが大好きで、お茶目な一面もあり、子供の友達と親友になれるほどでした。人生で大事なことを背中で語ってきた夫、妻の私、娘たちと息子、そして兄弟にとっては世界一の存在、憧れでした」(抜粋)。

 遺族は参列者に深々と頭を下げ、最後はレーシングマシンのエンジン音とレーシングアナウンサーの声で岩崎選手をライダーとして送りました。通夜、葬儀には1300人を超える方々が訪れ、その人望がしのばれました。

 遺族は、多重クラッシュでともに転倒してしまったライダーを気遣っていたそうです。レーシングアクシデントであり、そこには加害者も被害者もない、プロフェッショナルな戦いがありました。そこで力を尽くした岩崎選手の意志を継ぎ、チームは次戦の岡山国際にも参戦します。私もいつか、岩崎選手との約束を果たさなければと思っています。