赤松孝撮影
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 2020年全日本ロードレース選手権開幕戦SUGOで注目を集めていたのが、芳賀紀行&宗和孝宏がタッグを組んだチーム。あのレジェンドライダー芳賀がチームを率いて全日本に参戦、息子の瑛大(あきと)、涼大(りょうた)をライダーとして送り込みます。

 ピットを覗くと、懐かしい顔を発見。芳賀のメカニックを務めた戸田佳秀が、瑛大のマシンを整備していました。戸田メカは「親子2代に渡ってメカニックを務めることができるのは、なかなかないんじゃないかな」と嬉しそうでした。

 戸田メカは元ライダーで、名門ブルーフォックス(宮崎祥司、岩崎健一郎、故阿部典史といった名ライダーを輩出したチーム)出身で、1994年はノービスライダーでした。

 その当時、芳賀の走りを見たスタッフから「あいつは絶対速くなる」と話に聞き、芳賀を意識するようになりました。そしてちょうど時を同じくして、芳賀のメカニックを探しているという話が耳に入りました。

 戸田メカは「自分は時期的に天才・加藤大治郎が同期で、大ちゃんと比べたら自分なんて、と諦めていた頃。これから絶対に速くなる芳賀と一緒にレースできるならおもしろそう」と、ライダーから方向転換して芳賀の元へ。
赤松孝撮影
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 1995年から、芳賀のメカニックとしての生活が始まります。自分のマシンは自分で整備していたので、メカとしての基本はあったものの、一から勉強するためタイヤ運びから始めます。そして芳賀と一緒にダイエットにも取り組みました。芳賀は14キロ、戸田メカは20キロの体重減。ダイエット中は基本的には食べず、ファミレスのメニューを見て“食べたつもりダイエット”を実践。このときを振り返ると芳賀は「すきっ腹にところてんは胃に染みて痛い」と苦笑い。

 戸田メカと出会ってダイエットまで成功させた芳賀は、頭角を現し、なんとこの年の鈴鹿8時間耐久ロードレースで、コーリン・エドワーズとペアを組み、優勝を飾ります。ヤマハ6年ぶりの勝利に加え、当時22歳と21歳のコンビでの優勝は8耐史上最年少ペアでした。そして1997年、全日本ロードレース選手権スーパーバイククラスでチャンピオンに輝くのです。

 1998年からスーパーバイク世界選手権(WSB)参戦を掴み、戸田メカも、芳賀と海を越えました。芳賀はデビューシーズンから大活躍、開幕戦オーストラリアのレース2で勝利すると、第2戦イギリスではダブルウィン。イギリス出身のカール・フォガティが王者として君臨していたWSBで、フォガティの母国での完全勝利は、大きなインパクトをもって伝えられ、「芳賀の時代がきたぁ〜」と欧州は大騒ぎになるのです。
赤松孝撮影
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 この年はトータル5勝を挙げ、ランキング6位。戸田メカは「改めてすごいライダーと組ませてもらっていると思った」と、長い付き合いの中でも印象に残ったシーズンだと振り返ります。芳賀の戦法やライディングスタイルは、誰にも真似できない破壊力を持ち、見る者を引き込む力に満ちています。ニックネームは「ニトロ」、あだ名は狂犬。ワイルドでダークなイメージですが、それがまたカッコ良くて、欧州のファンを虜にしていくのです。芳賀の魅力を一番身近で見て、誰よりも分かっていたのが戸田メカです。芳賀はその実力が結果に結び付かず無冠でした。速さと強さと人気を兼ね備え、芳賀がナンバーワンだと誰もが思っていても、トラブルやアクシデントにより、あと少しのところでチャンピオンに手が届かない。

 戸田メカは「紀行とやっているとき、ほとんど話はしなかった。それでもハンドルを気にしているようならハンドルだなとか、彼の目線やしぐさで、やってほしいことを進めていく、それで問題ないぐらいの関係性だった。紀行はすごいライダーなのに、どうしてチャンピオンになれないのか・・・。環境を変えることが大事なんじゃないかと思うようになった。自分が離れることで、他のスタッフと切磋琢磨することで、もうひとつ上に行ってくれるんじゃないか・・・。流れが変わるんじゃないかと考えた」と、タイトル獲得を願い、2002年、断腸の思いで芳賀のもとを離れます。その後も芳賀は2011年までWSBを戦い、43勝を挙げ、トップライダーとして常にチャンピオンを争い続けました。チャンピオンにはなれなかったけど、誰もが認めるスーパースターとして、今も根強い熱狂的なファンを獲得しています。
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 そして今年、芳賀が「自分のチームを手伝ってほしい」と戸田メカに連絡を入れます。戸田メカは芳賀の頼みならとチームに合流します。バドックで動き回っていた小さな瑛大が、大きくなっていることに驚きながら、彼のメカニックを担当したいと伝えます。

 迎えた7月、雨のSUGO選手権、瑛大との最初の戦いです。予選14番手グリッドに並んだ瑛大は、目の前に並ぶライダーたちを見つめ、「抜かなければならないライダーがこんなにいる」とつぶやきました。この言葉を聞いて、瑛大のやる気を感じた戸田メカは「安心した」と言います。決勝レースは追い上げて10位でチェッカー。全車抜き去る野望は叶いませんでしたが、瑛大との大事なレースでした。

 「またサーキットに呼び戻してくれた紀行に感謝している。ここに帰って来て、どうして辞めたのか、俺は100%間違った選択をした。カッコつけて、勝手に思い込んでいた自分がバカだったと気付いた。もう一度、ちゃんと勉強して、瑛大の力になりたい」

 全日本開幕戦、瑛大は予選33番手、決勝21位でチェッカー。涼大も健闘し、17位となりました。初の全日本参戦で最後までしっかりと走り切ったことは大きな一歩。まだまだこれからと、ライダーもメカも、監督である芳賀も知っています。戸田メカの思いが、ニトロレーシングをしっかりと結び付けています。芳賀と戸田メカの黄金コンビが、今度は監督とメカとして、再び、新たな伝説を紡ぐことになりそうで、それもまた楽しみなのです。
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