赤松孝撮影
赤松孝撮影
 今季の全日本ロードレース選手権開幕戦で、WAVEINN−R(ウェビンレーシング)という新チームが活動開始しました。“WAVEINN”の由来は、

W ⇒ WE(我々は)
A ⇒ ALL(皆様と一緒にあらゆる事に)
V ⇒ VICTORY(勝利を目指し)
E ⇒ EVERY ONE HAPPY(みんなで幸せになる)
I ⇒ IBARAKI(チーム監督・茨木繁のイニシャル)
N ⇒ NAKAJIMA(チーム代表・中嶋啓重のイニシャル)
N ⇒ NAKATOMI(チームライダー中冨伸一のイニシャル)
WAVE ⇒ 波に乗って)
INN ⇒ 仲間や幸福を招き入れる

という願いが込められているそうです。
 チーム代表に中嶋啓重、監督は茨木繁、ライダー中冨伸一というチーム構成でJSB1000クラスへの参戦を開始し、開幕戦は予選13番手、レース1決勝は12位、レース2決勝は10位でチェッカーを受けました。最近の中冨は、ダンロップタイヤの開発ライダーとして知られ、レースで順位を競うライダーとはちょっと違うアプローチで活動していました。でも、そのスキルの高さは誰もが認めているところです。

 それを証明したのが、2019年、ダンロップタイヤのワンメークで争われているアジアロードレース選手権(ARRC)スーパーバイク1000の鈴鹿戦にスポット参戦したときのレース。中冨は雨の難しいコンデションを制して優勝、その実力がトップレベルにあり続けていること示しました。

 中冨は名ライダ−を輩出しているチーム高武出身。モトGPライダーとなる玉田誠や、ブリティッシュスーパーバイク(BSB)で3度タイトルを獲得した清成龍一らとともに過ごし、ヤマハワークスライダーとなり、2003年には現ヤマハファクトリー監督の吉川和多留と鈴鹿8時間耐久ロードレースで2位表彰台に駆け上がっています。2006年〜2007年までは、スーパーバイク世界選手権(WSB)に参戦して腕を磨き、2009年に帰国、ARRCと全日本ロードへ参戦します。ARRCでは、ヤマハライダーのアドバイザーとしても活躍しました。
 その中冨が2020年限りで引退する、という噂がありました。新型コロナウイルスによる活動自粛の中で、自分の人生を考え、レース活動に終止符を打つのでは、というもの。でもそれは誤報で、新チームを立ち上げ、新たな一歩を踏み出していたのです。中冨は「メカニックとして自分を支えてくれていた中嶋さん、ヤマハの大先輩でもある茨木さんの協力で、チームが結成できたことに感謝しています」と言います。

 監督となった茨木氏は「ガキちゃん」の愛称で呼ばれ、何に対しても一生懸命で、愛すべき人物。茨木も、名門SP忠男の所属ライダーとしてヤマハ契約、1991年には激闘の全日本ロードレース選手権TT−F3クラスでランキング2位となり、1995年〜1996年には全日本GP125でトップ争いを繰り広げました。1997年に引退し、その後2005年には映像制作会社「スタジオB&M」の社長に。名刺をいただいたときにはビックリしたものです。ですが、2013年に鈴鹿4時間耐久に参戦して2位となり、2014年には優勝!45歳の快挙にさらにビックリが加速したのです。その茨木が監督して全日本に戻って来ました。
 「レース業界を盛り上げたい気持ちはずっとあって、2009年ごろから、立ち上げたインターネット番組で全日本ライダーを招いてインタビューしたりして、そのオフ会で中嶋さんとつながりました。4耐参戦ではメカニックをしてもらうようになり、中冨とも会うようになって、3人でチーム結成しました。中嶋さんも中冨もプロなので、自分ができることは運営面。このチームが継続できるように力を尽くしたい」

 チーム代表で、チーフメカニックに中嶋啓重は、バイクショップ「ヒロステック」の代表。レーシングメカニックとしてキャリアを積み、2014年から中冨を支えてきました。他にも、メカニックに松下幸司、ヘルパー茨木志麻という少数精鋭での船出です。

 中冨は「これからも変らず、ダンロップタイヤを世界一にするためのテストを続けます。ARRCには、コロナの影響でできていませんが、再開したら、また育成に関わりたい」と言います。茨木監督は「いずれは若手ライダーを育てるチームへと成長したい」と目標を定めています。全日本に、また注目チームが誕生したのです。我々は(WE)、皆様と一緒にあらゆる事に(ALL)、勝利を目指し(VICTORY)、「三方良し」の精神でみんなで幸せになる。(EVERY ONE HAPPY)という、チーム名の由来のように、幸せを振りまいてくれることを願っています。第2戦は4月24日〜25日の鈴鹿2&4です。