赤松孝撮影
赤松孝撮影
 5月22日〜23日に宮城県・スポーツランドSUGOで行われた全日本ロードレース選手権では、森俊也(WJ−FACTORY)が2012年ぶりにJGP3クラスにレース復帰し、注目を集めました。今季開幕戦には出場していませんが、この第3戦(JGP3は2戦目)以降は継続参戦中です。
 このときのSUGOは、雨が降ったり霧が出たりの天候不順で、天気予報で雨雲の動きをチェックしながらの戦いでした。

 予選6番手で迎えた決勝、レース前に薄日がさしますが濡れた路面が残り、ウェット宣言がだされます。微妙に変化して行く路面状況の中、6番手からスタートした森は徐々に追い上げ、6台による争いを制して4位を獲得します。

 続く第4戦・筑波サーキット(6月19日〜20日)は2レース開催で、予選のベストタイムが決勝レース1のグリッド、セカンドタイムが決勝レース2のグリッド、というレギュレーション。森は、決勝レース1は予選3番手、決勝レース2は予選2番手に付けます。決勝レース1は小室旭(Sunny moto Planning)とトップ争いを繰り広げ、一時首位に立ちますが、14周目の1コーナーでマシンストップ。リベンジを賭けた決勝レース2は4位となります。

 第5戦鈴鹿(7月17日〜18日)は、予選ではトラブルもあって13番手となりますが、決勝レースで6位まで追い上げました。ブランクを感じさせない力走を見せています。
 森は、74大治郎カップがスタートした2003年から、今や世界で活躍する長島哲太、大久保光、浦本修充らと接戦を繰り広げていました。大きな眼鏡がトレードマークで、懸命に挑む姿が印象的でした。千葉県出身で、同郷の篠崎佐助とは幼馴染のような存在。篠崎も今季JGP250に電撃復帰して活躍中、この世代の実力はとても高いことが分かります。

 バイクを始めたきっかけは、小学校1年生の頃で、最初は親に無理やりポケットバイクに乗らされたそうですが、「一気にレースが好きになりました。勝ったらものすごい達成感があって。それを味わいたくて夢中で上を目指していた」と言います。

 2009年には全日本ロードレース選手権にフル参戦を開始。2010年にはJGP3ランキング3位へと浮上。この年、大久保がタイトルを獲得し、新時代突入を思わせるシーズンでした。

 同年に森はロードレース世界選手権(WGP)にスポット参戦、世界への夢を膨らませませ、翌2011年からチームノビーに移籍して世界を目指します。2014年にはアジアドリームカップにも挑戦してランキング4位。その後はトリックスターに移籍し、その後チームを離れてからもJGP250に参戦するなどレース活動を続けますが、表立って名前を聞くことが少なくなります。
 「レース参戦はお金がかかるので、借金を清算するために働いていました。レースから離れていた時期はあるけど、諦めたわけではなかった。そして自分の本当の思いというか、目指すものを見つめることができた」

 森は船橋オートレース場のそばで育ち、篠崎らと学校帰りに会場を覗きに行くことが日課でした。故加藤大治郎に憧れてWGPの舞台を目指しながら、身近に見ていたオートレースにも強く惹かれていた当時の自分を、レースを離れていたときに改めて思い出したそうです。また、青山周平らロードレースの先輩たちが活躍の場をオートレースへと移していたことも、その思いの後押しになりました。

 「オートレースに挑戦したいという気持ちが強くなりました。ロードレースに比べると、オーバルコースでコーナーもなく単純だと思う人が多いですが、だからこその奥深さがあると思います。そして、オートレースは自分で整備してレースに出場する。ロードに比べて自分への責任が重いところにも魅かれました。整備なんてできないし、甘くない世界だからと目を背けていたことに気付き、昔の『いつかこの世界に行くぞ』という思いがよみがえってきました。そこからは、挑戦するために何が必要か考え、マシン整備にしっかりと取り組みたい、整備がしっかりできるようになりたい、と思うようになりました」
 漠然とWGPを目指してもがいた頃とは違い、目標を見つけた森は、自動車工場で働きながら資金を作り、開幕戦には間に合いませんでしたが、今季の体制を整えました。ピットを覗くと、自らマシン整備に取り組む森がいました。懸命に勝利を目指す姿には、毅然とした覚悟が感じられるような気がします。

 大きな眼鏡をかけて、切磋琢磨していた幼かった森が、今年の9月1日の誕生日で29歳になります。オートレースへの応募年齢としては遅いのかもしれないですが、その思いは純粋です。全日本残り2戦を戦い、オートレースの試験に挑みます。

 「小室さんや尾野(弘樹)さんとのバトルを目標に、残り2戦に挑みます。そして、オートレースの試験も合格できるよう全力を尽くす。合格できたら、阿部光雄(チームノリック監督、レジェンドのオートレーサー)さんのように、ロードとオートの魅力を伝えられるような人物になりたい」

 最近、「レースができて良かった?違う生き方もあったんじゃないの?」と祖母に聞かれた森は、「レースができて良かったよ。バイクと出会えて良かった」とまっすぐに答えました。祖母は「そう」と、嬉しそうな笑顔を見せてくれたそうです。

 世界へ飛び出す夢は叶わなかったけど、そこを目指して頑張ったからこそ強くなったオートレースでの思いを、叶えてほしいと願っています。