ヒート1のラストラップ。#1山本は、#5能塚(Kaw)を0.11秒差で抑えて勝利。ランキング2位の#2富田とのギャップを1Pから10Pと広げる。(写真はいずれも佐藤敏光撮影)
ヒート1のラストラップ。#1山本は、#5能塚(Kaw)を0.11秒差で抑えて勝利。ランキング2位の#2富田とのギャップを1Pから10Pと広げる。(写真はいずれも佐藤敏光撮影)
 私はロードレースの取材がメインですが、機会があって、広島県・世羅グリーンパーク弘楽園にて開催された「D.I.D全日本モトクロス選手権2021シリーズ 第2戦 中国大会(最終戦)」に出かけました。本格的なモトクロス取材は初めてで、事前に登山靴に汚れても良い防寒着を持ってくるようにとアドバイスを受け、いざ弘楽園へ。

 雨があがった後の虹を見ながら会場に入り、グランドは湿っていましたが、コンディション的にはこれが良い感じなのだそう。他の観客の方々と一緒になってコースのポイントポイントで観戦しましたが、スタート地点では土の塊が飛んできたり、次々と空に舞い上がるようにジャンプしていくバイクを見て「ひょえ〜、す、すごーい」と感動。こんなに近くでトップライダーの走りを見ることができるのは何とも得した気分で、ドキドキしながらライダーの走りを観戦しました。
ヒート2のオープニングラップ、#1山本は#2富田と接触転倒。ラストポジションからの怒涛な追い上げで4位。一方の富田は2位ゴール。山本は3Pリードを保ちチャンピオンを決定した。
ヒート2のオープニングラップ、#1山本は#2富田と接触転倒。ラストポジションからの怒涛な追い上げで4位。一方の富田は2位ゴール。山本は3Pリードを保ちチャンピオンを決定した。
 そして、モトクロスを長く取材されているカメラマンの佐藤敏光さんにもご挨拶。佐藤さんとは、その昔、私が貧乏旅行でヨーロッパにレース観戦に出かけていたときからのお付き合い。私はロード、佐藤さんはご夫婦でモトクロスのレースを回っていて、「いつか日本でもヨーロッパに負けないモータースポーツ文化が育つよね」と、夢を語り合った同志の間柄。普段はめったに会うことはなく、数年ぶりの再会でした。佐藤さんにモトクロスのことをいろいろと教えていただきながら、じっくり観戦することに…。

 観戦したIA1クラスは、全日本ロードで言えば最高峰のJSB1000クラス。最終戦を迎え、チャンピオン争いは1ポイント差の接戦。今季は全7戦の予定でしたが、第2戦中国大会が最終戦に延期され、第5戦近畿大会が中止に。IA1クラスは開幕戦HSR九州大会と第4戦SUGO大会は決勝が3ヒート制で実施され、全6戦14ヒートでタイトルが争われました。
ゴールで祝福するチームスタッフ。ジャージ背中のQRコードが斬新。
ゴールで祝福するチームスタッフ。ジャージ背中のQRコードが斬新。
 HONDA DREAM RACING BELLSからIA1(450CC)クラスに参戦する山本鯨(やまもと けい)選手は、開幕戦では3ヒートとも表彰台を逃しましたが、第3戦関東大会と第6戦HSR九州大会ではヒート1、ヒート2とも優勝を飾り、5戦まで終えて12ヒート中5勝、3位を3回獲得。宿命のライバル、ランキング2位の富田俊樹(ヤマハ)とタイトルを争っていました。

 最終戦もヒート1から激闘が繰り広げられましたが、山本が優勝、富田は、このコースを得意とする地元の飯塚智寛(カワサキ)にパスされ3位に。山本がポイント差を10ポイントと広げます。ですが、ヒート2ではスタート直後に山本と富田が接触、山本は転倒してしまい、ほぼ最後尾にまで順位を下げ、そこからの追い上げとなります。逆転首位を狙う富田は「ダーティーな抜き方になっても勝ちたかった」という言葉通り渾身の走りで首位に立ちますが、飯塚にパスされ2番手に。山本は6位以内に入ればタイトル確定で、グングンとポジションを挽回して4番手まで浮上します。

 ロードではメカニックとライダーをつなぐサインボードには、順位を数字とアップやダウンの矢印で示すことが一般的ですが、モトクロスではボードにメカニックが手書きで激励の言葉やレースの情報を書きます。山本にメカニック佐藤崇弘さんは「諦めるな」の言葉をサインボードに記します。「最後まで自分の走りを貫いてほしい」という思いだったそうです。その思いを受け取った山本選手は集中力マックス、見る者を引き込む激走を見せ、4位でチェッカー、見事チャンピオンを決めるのです。
父親と思い切り泣き続けた山本。
父親と思い切り泣き続けた山本。
 佐藤カメラマンは山本のタイトルを予想していて、「ほら、言った通りだろ。山本はこれまで痛い思いも失敗もあって、そこから学んで強いライダーになった。タイトルのプレッシャーも、今大会が最後だという重圧も背負って走り切り、チャンピオンになると思っていた」と語りました。

 そう、このレースが山本の引退レースだったのです。山本は「最後に納得できるレースが出来た。やり切った」と語り、支えてくれたスタッフや父親とがっちりと抱き合いました。

 山本は「今年4月には引退を決めていて、今季は山本鯨の走りに集中した。26年間、朝起きて寝るまでモトクロスライダーとして生きていた。やり切ったと思うし、この引退が前進だと思っている。これから、この業界を盛り上げるために力を尽くしたい」と語りました。

 絶頂期で引退を決めるのは、なかなかできないことだと思います。それを決めた強い意志に胸を打たれ、この決断が、山本にとってもモトクロス界にとっても素晴らしい未来となるようにと願いながら、帰路につきました。写真は佐藤カメラマンにお願いしました。あのピリピリと張り詰めた空気、タイトルを決めた歓喜、すべてが詰まった素敵な写真を送ってくれました。忘れられないレースになりました。
表彰台では清々しい山本らしい表情を見せてくれた。
表彰台では清々しい山本らしい表情を見せてくれた。
4才から26年間、一緒にモトクロス活動を過ごしてきたファミリーたちと。
4才から26年間、一緒にモトクロス活動を過ごしてきたファミリーたちと。