1988年と91年のTTF1王者

宮崎祥司さん(赤松孝撮影)
11月5日、6日に行われた全日本ロードレース選手権・最終戦鈴鹿で、久しぶりに宮崎祥司に会いました。宮崎は1983年ノービス125クラスのデビューレースで優勝を飾り、その年ランキング2位を獲得。翌年はケガでレースができず、85年の復帰レースでは、グリッドに向かう最中に嬉しさのあまり溢れる涙を抑えられなかった、というエピソードを聞いたことがあります。小柄な身体ながらライバルを圧倒する走りで、目が離せなくなる魅力的なライダーでした。86年、国際A級昇格とともにヨシムラに迎えられ、87年はブルーフォックスへ移籍。88年にはTT−F1クラスのチャンピオンに輝きます。91年には2度目のタイトルを獲得、常にタイトル争いを繰り広げるトップライダーとして注目を集めていました。飾らない真っすぐな人柄も魅力で、レースが好きで好きでどうしようもなくて、負けず嫌いがツナギを着ているみたいなライダーだと思っていました。
95年を最後に現役を退いてからは、鈴鹿市内で趣味のラジコン屋さんを開業していましたが、現在はホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿(HRS鈴鹿)の講師として活躍しています。宮崎が講師を務める「HRS鈴鹿 Motoクラス」は、9歳から入校可能で、入門編の「Motoクラス ベーシックコース」ではレーシングコースを走行する上で必要なルールやマナーを学び、少しずつレベルを上げていきます。基礎的な操縦技術が身に付いたら、いよいよ本格的な走行に入り、スライド感覚を養うフラットトラックの走行などを経て、最終的には南コースでの実践形式の練習走行を実施。一定の条件を満たしたベーシック修了生は「Motoクラス アドバンスコース」へステップアップし、レーシングコースでの練習を積み、公式戦へ参加します。一年を通して優秀な成績を収めた生徒にはスカラシップが与えられます。(※スカラシップは該当者のない場合もあります)
95年を最後に現役を退いてからは、鈴鹿市内で趣味のラジコン屋さんを開業していましたが、現在はホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿(HRS鈴鹿)の講師として活躍しています。宮崎が講師を務める「HRS鈴鹿 Motoクラス」は、9歳から入校可能で、入門編の「Motoクラス ベーシックコース」ではレーシングコースを走行する上で必要なルールやマナーを学び、少しずつレベルを上げていきます。基礎的な操縦技術が身に付いたら、いよいよ本格的な走行に入り、スライド感覚を養うフラットトラックの走行などを経て、最終的には南コースでの実践形式の練習走行を実施。一定の条件を満たしたベーシック修了生は「Motoクラス アドバンスコース」へステップアップし、レーシングコースでの練習を積み、公式戦へ参加します。一年を通して優秀な成績を収めた生徒にはスカラシップが与えられます。(※スカラシップは該当者のない場合もあります)

このスクール卒業生は、全日本ロードレースで活躍する清成龍一、津田拓也、日浦大治朗、榎戸育寛、南本宗一郎、今季激戦だった全日本ST600クラスでチャンピオンを獲得した荒川晃大、ロードレース世界選手権(WGP)モト3に参戦した國井勇輝、現在モト3の古里太陽らなどそうそうたる面々で、現在のレース界を支える逸材を生み出しています。
その秘密は、講師陣の素晴らしさにあるのではないかと常々思っていました。講師陣には宮崎をはじめ、WGPで活躍した岡田忠之、上田昇、玉田誠、高橋裕紀、中野真矢、全日本で活躍した亀谷長純などが名を連ねています。宮崎は「先輩ライダーから講師をやらないかと誘ってもらったことがきっかけで、9年前くらいから手伝うようになった。誘ってもらって嬉しかったし、若いライダーたちの力になりたいと思った。最初の生徒は國井や荒川らで、彼らが活躍しているのを見るのも楽しみ。自分が得たノウハウやスキルを伝え、それを吸収して、速くなってくれているのは喜びでもある。また、レースはひとりでできるものではないから、周りの人を大切に思ってくれるような思いやりも自然と身に着けてもらいたいと思っている。だから、挨拶などの礼儀も大事にしている。人間的にも慕われるような子になってほしいから」と語ります。
少し前の時代は、先輩ライダーから懇切丁寧にレースのノウハウを教えてもらえることなんて、夢のようなことだったように思います。それが今や世界に名だたる鈴鹿サーキットで講習を受けられるなんて、本当に素晴らしいことです。
その秘密は、講師陣の素晴らしさにあるのではないかと常々思っていました。講師陣には宮崎をはじめ、WGPで活躍した岡田忠之、上田昇、玉田誠、高橋裕紀、中野真矢、全日本で活躍した亀谷長純などが名を連ねています。宮崎は「先輩ライダーから講師をやらないかと誘ってもらったことがきっかけで、9年前くらいから手伝うようになった。誘ってもらって嬉しかったし、若いライダーたちの力になりたいと思った。最初の生徒は國井や荒川らで、彼らが活躍しているのを見るのも楽しみ。自分が得たノウハウやスキルを伝え、それを吸収して、速くなってくれているのは喜びでもある。また、レースはひとりでできるものではないから、周りの人を大切に思ってくれるような思いやりも自然と身に着けてもらいたいと思っている。だから、挨拶などの礼儀も大事にしている。人間的にも慕われるような子になってほしいから」と語ります。
少し前の時代は、先輩ライダーから懇切丁寧にレースのノウハウを教えてもらえることなんて、夢のようなことだったように思います。それが今や世界に名だたる鈴鹿サーキットで講習を受けられるなんて、本当に素晴らしいことです。

1989年当時の宮崎祥司さん
「自分はバイクの免許を取れる年齢になってからのレースキャリアだが、青木3兄弟のようにポケットバイクからレースを始めた子は、ロードレースを始めるまでに何百戦もレースを経験していて、すでに自分のスタイルが出来上がっていることが多い。若いのにベテランであるからこそ、その型を(講師陣が)客観的に見て、良い方向に修正することが大事。講師陣は真剣にライダーのことを考えて指導しているので、このスクールで学んだ子たちは速くなるのは当たり前。それに、同じように夢を持つ仲間と出会えることも魅力だと思う。興味がある人は是非問い合わせてほしい。入学する、しないはそれからでも良いし、気軽に相談してほしい」
現役時代と変わらぬ真剣なまなざしで、宮崎はスクールの良さを語り続けていました。その話を聞きながら、恵まれた時代だなと思いました。もちろん、このチャンスを生かすのはライダー自身。自分の人生を切り開くのは、本人の意志。宮崎の指導を受けた、レース好きの負けず嫌いなライダーに、近い将来、また、会いたいなと思いました。
現役時代と変わらぬ真剣なまなざしで、宮崎はスクールの良さを語り続けていました。その話を聞きながら、恵まれた時代だなと思いました。もちろん、このチャンスを生かすのはライダー自身。自分の人生を切り開くのは、本人の意志。宮崎の指導を受けた、レース好きの負けず嫌いなライダーに、近い将来、また、会いたいなと思いました。

1989年当時の宮崎祥司さんの走り

1991年当時の宮崎祥司さんの走り
