赤松孝撮影
赤松孝撮影
 まだまだ夏の日差しが残っていた今夏8月12日〜14日、「FIM アジアロードレース選手権(ARRC)シリーズ第3戦 日本ラウンド」が宮城県スポーツランドSUGOで行われました。コロナ渦の影響でARRC日本開催は3年ぶりで、SUGOは初開催でした。ASB1000では、レギュラーライダーの埜口遥希(ホンダ)、スーパースポーツ600ではワイルドカード参戦の荒川晃大(ホンダ)が激闘を制し、ダブルウィンを飾りました。

 彼らの活躍に負けないドラマが、AP250でも繰り広げられました。
 レース当日、台風の影響で決勝レース直前に土砂降りの雨が落ち、一瞬で路面はウエットに。その雨が止んだ後に決勝レース1のスタートが切られましたが、スリックタイヤ(晴れ用)で挑んだライダーが多く、転倒者続出の大荒れのレースとなります。そんな中、ワイルドカード参戦の“ニトロ田中”こと田中敬秀(TEAM TEC2&YSS NTR.JP)は、レインタイヤを選択して予選12番手、4列目グリッドから追い上げるのです。アルディ・サティア・マへンドラ(YAMAHA Racing Indonesia)がトップに立つと、田中は2番手に浮上して背後に付けます。終盤、アルディが馬の背コーナーで転倒し、田中が首位に立ってそのままチェッカー。路面コンデションを読んだ力もありますが、ライダーとしての力量の高さも示す走りに大きな声援が送られました。

 ウイニングランを終え、表彰台へと戻った田中を、泣き笑いのスタッフたちが盛大に迎え、表彰台の真ん中で涙をぬぐう姿がモニター画面に大写しになります。この映像は世界中に配信されました。ARRCには、参戦年齢制限が50歳と定められており、田中はギリギリの50歳。最初で最後のARRC参戦で、優勝を掴み取ったのです。

 「SUGOの路面は乾きにくいことを知っていたので、自分にとっては絶好のチャンス、これぞ『ニトロウェザー』だと思いました。路面が乾き出した終盤は、今までに経験したことがないほどのグリップ感のなさで、攻めきれずにいましたが、前のライダー(アルディ)の走りを見て、このライディングでは転ぶと思っていたら、転倒。トップに出てからは後ろとのタイム差をサインボードで確認しながら走り切ることに集中しました。今年でレース参戦に区切りを付けようと思っていたので、優勝という最高の贈りものをもらったようで、レースの神様がいたのだなと思いました」
 田中はレース関係者の中では有名人で、2020年のMFJカップJP250のチャンピオンを獲得している実力者、トップ争いの常連ライダーです。そして、株式会社NTRの代表取締役社長という実業家でもあります。NTRは主にタイヤウォーマーを制作、その性能の良さで多くのチーム、ライダーが愛用しています。

 「バイクが好きで、最初はミニバイクレースが始まりです。サーキット秋ヶ瀬、桶川、白糸、日光といった各サーキットに猛者がいて、そこで速い奴らが集まってチームを作り、走り回っていました。タイヤウォーマーを買うお金もないので、みんなのために試作したのが始まりです。2005年の結婚を機に一時レースを離れましたが、その後会社が軌道に乗ったのもあり、速さをみんなに示したいという気持ちも残っていたことで、2013年にレース復帰。なかなか勝てずに悔しい思いをしていましたが、それがレースへの原動力でした。でも、2020年JP250でチャンピオンになり、最後にアジアという世界の舞台で勝たせてもらった。全部が楽しかった。レースからは離れますが、バイクを楽しむことは続けたい」
 参戦中にはアフロのかつらを被ったりと、みんなでレースを楽しもう、楽しんでもらおうという精神で、多くのファンを獲得しました。また、自身の会社でライダーを雇用し、レース活動を尊重した働き方を取り入れるなど、レース界を支えてくれています。アジアの勝利で男泣きに泣く田中の涙に、レースへと向き合う姿勢に力をもらった人がたくさんいたのです。