チーム提供
チーム提供
 年の初めには、多くの人が夢を描いて、それの実現を誓います。ですが、大きなものでも些細なことでも、それを達成するのは難しいことです。今年最初の本コラムでは、夢を叶えたトネレーシングのお話を取り上げたいと思います。
 2017年、南仏のポールリカールサーキットで開催された世界耐久選手権(EWC)ボルドール24時間には、ヤマハ野佐根航汰選手の参戦があり、TSRホンダフランスの発足会見もあり、日本でもEWCへの関心が高まっていたような気がします。視察に訪れていたTONE RT SYNCEDGE4413 BMW(トネレーシング)の山下祐監督は、「EWCに参戦したい」と言っていました。ポールリカールのパドックで、南仏の陽射しを浴びながら夢を語る山下監督は、素敵だったけど、実現するのはなかなか大変だろうなと思っていました。

 山下監督は夢を諦めることなく、2019年のマレーシア・セパン8時間耐久(12月14日)の参戦を果たします。ライダーは星野知也、渥美心、石塚健で臨み、ST1000クラスで3位表彰台を獲得、海外参戦の経験を積み、準備を整えて行きます。
昨年、全日本レギュラーライダー星野知也、石塚健に新たに中冨伸一を迎え、夢に見たボルドール24時間耐久(9月15日〜18日、EWC第4戦)にEWCクラスへと切り替え、オールジャパンでのプライベート参戦を発表したのです。
 この発表を聞き、オールジャパンの参戦で、2013年に鶴田竜二監督率いるトリックスターレーシングがオールジャパン体制でルマン24時間耐久に参戦、同行取材した時のことを思い出しました。さまざまなアクシデントに向き合うチームを見ていて、異国でのレースの難しさを痛感していたので、「大丈夫?」と思っていました。

 ですが、トネレーシングは、そんな心配を吹き飛ばし、予期せぬトラブルに襲われながらも、初出場のボルドール24時間耐久で完走を果たします。昨年12月9日に横浜市内で開かれたトネレーシングのボルドール参戦報告会で、チームが撮影したレース中の映像が流され、参戦の様子を見ることが出来ました。

   ◇ ◇ ◇
 ボルドール24時間耐久はルマン24時間耐久、鈴鹿8時間耐久よりも歴史が古く、昨年が100周年記念大会でした。その伝統のレースが行われるポールリカールサーキットはフランス・プロバァンス地方の中心地、マルセイユから東へ40km、地中海から北に約15キロメートルのなだらか丘にあり、南仏特融の青い空と日差し、ミストラルと呼ばれる強い北風が特徴です。

このミストラルの名が付くミストラルストレートは下りの直線で、最高速が出ることで知られています。このコースはウエット路面にできる装置があるなど、さまざまなテストができるように設計されています。走路に平行して、青、赤の縞模様が描かれていて、コース幅があり、どこが走行路なのかと迷うくらいの広さと、攻略の難しさで知られています。

 迎えたレース本番、エントリー台数は43台で、トネレーシングは予選28番手。スタートを担当するエースライダーの星野はケガを負っていましたが、治療に努めて、なんとかレースに間に合わせます。彼にとっても、この参戦は夢でした。

 いよいよ決勝レースがスタート。星野が順調に走行をこなし、石塚、中冨へと繋いでいきます。

 2時間経過時点で22番手とポジションを上げ、さらに18番手まで上げた77周目、リアタイヤに異物が刺さりスローパンクチャーしてピットイン。夜になると気温は16度までぐっと下がります。夜間はライダーの疲労を考えてダブルスティントを決行。石塚が10時間経過の282周目にオーバーヒートで緊急ピットイン、20分のタイムロスでコース復帰しますが、298周目に再びピットイン。メカニックが必死に不調の原因を調べ、ヘッドガスケットの交換が必要となりましたが、パーツの用意がなく、他チームに貸してもらえないかと聞いてまわることに。パーツがなければ修復不可能で、ここで戦いは終わってしまいます。なんとか修復しようという熱意がライバルチームにも届き、パーツを借りることができました。緊迫した空気の中で、メカニックたちが集中して作業を行い、みんなの思いが通じたかのように、マシンは息を吹き返しました。ピットタイムは2時間39分。中冨がダブルスティントを決行、32番手で朝を迎えます。

 その後、石塚がチームベストのタイムを連発して29番手までポジションを挽回。ラスト1時間、中冨は「絶対に走り切る」と誓い、最後の走行に出ます。山下監督はこの言葉が胸に響いたと振り返っていました。最後、見事28位で走り切りチェッカーを受けました。
 初参戦でオールジャパンのプライベートチームが、トラブルを乗り越えて完走を果たしたこと、340kmを超える最高速を記録したことで、樋渡治氏が代表を務めるアールズ・ギアのマフラーが話題になり、多くの関係者がマシンを見学に来たりと、トネレーシングはしっかりとEWCに受け入れられ、爪痕を残しました。

 報告会では、今年の参戦も誓っていました。夢を叶えることだけでも大変なこと。それを継続することはさらに難しいはずです。ですが、チームオーナーでありチーフメカニックの高村嘉寿は「いつかEWCにフル参戦できるチームになりたい」と話していました。

 EWCのレベルは年々上がっていて、厳しい戦いが繰り広げられています。それでも、参戦チームの間には、ライバル同士であっても不思議な連帯感が生まれるのです。ライバルチームのリタイアを自分のことのように悲しみ、走り切れた歓喜は共に味わう。その魅力は、100周年を迎えたボルドール24時間耐久の存在が証明しているような気がします。