赤松孝撮影
赤松孝撮影
 2022年から始まった「FIM MiniGPジャパンシリーズ」、競技監督としてレースが円滑に進行するように熱心に働いているのが鎌田悟でした。また、スポーツランドSUGOで行われたアジアロードレース選手権(ARRC)でHONDA Racing Vietnamのアドバイザーとしてライダーを支える姿から、チームが彼に大きな信頼を置いているのが伝わって来ました。鎌田が「Moto UP桶川スポーツランド」のマネージャーとしてサーキットを運営する大事なスタッフであることは知っていたのですが、多岐に渡る活動に驚きつつ、話を聞いてみることにしました。

 鎌田は2007年より全日本ロードレース選手権GP125に参戦を開始。背が高く手足が長いスレンダーな身体を使ったライディングは目を引き、イケメンで、スターライダーになるだろうと期待のライダーでした。ですが、ケガもあってか、次第に名前を聞くことが少なくなり、2014年を限りに引退してしまいます。
2009年撮影
2009年撮影
 鎌田は岩手県花巻市出身で、サーキットもないレースとは無縁な場所で育ちます。高校がバイク通学OKだったことから、ホンダNSR50を購入、峠に出かけるようになり、そこで速いライダーとして認知されるようになるのです。鎌田は「(当時を振り返ると)井の中の蛙でした。情報はバイク雑誌やテレビしかなかったけど、それでもライダーを目指したい」と、東京の祖父母の家に住みながらレースに取り組むことを決めます。そこには希望しかなかったはずですが、高齢の祖父母の介護という現実が襲い掛かります。それでも、回転寿司屋やガソリンスタンドのバイトを掛け持ちしながら、埼玉県の桶川スポーツランドを走り始めます。

 介護とアルバイトをしながらレース活動を続ける困難さについて、鎌田は多くを語ることはありませんでしたが、若者が懸命に祖父母を支える姿を想像すると、逃げ出すことなく向き合った優しさに、胸がいっぱいになります。それでも鎌田は「実家からお米は届くので、お腹は満たされていました」と笑顔で教えてくれました。

 その後、桶川スポーツランドに勤務しながらレース活動を行うようになり、今野由寛、青山博一、周平兄弟、高橋裕紀、江紀、高橋巧ら、後のレースシーンを騒がすライダーたちが身近にいる環境で育ちます。約2年間、桶川のミニバイクレースで腕を磨き、2006年より筑波選手権に参戦。デビュー2戦目でポールポジション獲得、そのまま優勝を果たし、東日本エリア戦でも速さを見せ、注目ライダーとなっていきました。

 当時の桶川スポーツランドの「桶川塾」で走りを学び、その教えは「速くないバイクで速く走ること」。それを守って、結果を残し、2007年から念願の全日本参戦を果たします。
2009年撮影
2009年撮影
 2008年には名門「ENDURANCE」に出会い、チーム「ENDURANCE+桶川スポーツランド」から参戦、ランキング上位に顔を出すようになり、2009年にはモトGPにもワイルドカード参戦を果たします。2011年からNSF250Rの先行開発車両を担当するなど、ライダーとしてさらなる活躍が期待されましたが、その年のシーズン序盤にケガを負い、翌年はリハビリのため参戦を休止。2013年はTOHO Racingに移籍しますが、その後もケガが続き、2014年を限りに引退を決めました。

 「続けたかったけど、11年間、祖父母の世話、仕事、レース、リハビリで、ゆっくりと休んだことがなかった。1日も休みがなかったから、引退してからは何もする気力が湧かなかった」

 そんな鎌田に新たな目標が生まれたのは2016年。ベトナムでサーキット建設を計画中のオーナーが桶川を視察に訪れた際、ライダー時代の古巣ENDURANCEを通じてホンダのベトナム現地法人「ホンダベトナム」から鎌田に協力の相談があり、ベトナムを訪問することになります。ベトナムはバイク人口が多いことで知られていますが、レースに関しては後進国で、陸上競技場のコースを使ったバイクレースが主流でした。サーキットもなくレースも知らない。鎌田はそんなところから、ホーチミン市郊外に桶川スポーツランドと同じレイアウトのコース「2K International Circuit」の建設をアドバイスして、コース管理や安全対策、ライダー育成など、レースに必要なさまざまノウハウを共有していきます。ベトナムのスポーツ協会に打診し、ライダーやコースマーシャルのライセンス講習会も開催、バイクレースに携わる全ての人へルールを指導しました。
2009年撮影
2009年撮影
 鎌田自身何も知らずに手探りでレースを始めたこと、桶川でサーキットスタッフとして熱心に働いたこと、ケガを繰り返しながらもライダーとしての情熱を燃やし続けたこと。これらのすべてが、このベトナムのモータースポーツ文化誕生へと繋がるのです。鎌田が丹精込めて作り上げたコースが原点になり、数年でARRCのトップ争いをするライダーが生まれ、現在はそのサポートのために鎌田はARRCを転戦しています。鎌田がベトナムにまいたモータースポーツの種が、しっかりと育っているのです。

 鎌田は「これからもベトナムのモータースポーツの発展に力を尽くしたいし、ミニGPでのサポートや、桶川を拠点とするライダーの助けになることも頑張りたい。やっぱりバイクは面白くて、レースは魅力的なものだと思う。ひとりでも多くの人に、それを伝えたい」と話します。2024年からはホンダレーシングベトナムを日本に招致し、桶川出身ライダーたちとの合同トレーニングや、全日本ロードレースへの参戦を計画していると教えてくれました。
2011年撮影
2011年撮影
 自身の才能でライダーとして世界へと飛び出すことはできなかったけど、若手ライダーを支え、夢を育てるサポートをしている鎌田は、トップライダーに負けない存在感と輝きがありました。いつか、彼が育てたライダーに会いに、ベトナムに出かけたいと考えています。
2013年撮影
2013年撮影