帰ってきたブラックフラッグ
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◇タキ井上の帰ってきたブラックフラッグ第2回
1929年に初めて開催され、2022年に79回目の開催を迎えたモナコGP。米国のインディ500、フランスのルマン24時間と並ぶ、世界3大自動車レースのひとつでもある。

 1950年にF1世界選手権が創設されてからは、50年代初頭以外は毎年開催。しかし、F1モナコGPの開催契約が2022年をもって打ち切られてしまう! というニュースが欧州メディアを中心にあちこちで報道されている。「マジ?」ということで、タキ井上は早速F1モナコGPの現場へ足を運んで関係者に事情聴取してきた。

 結論を開陳する前に、読者の皆さんには地中海に面するモナコという小国(面積2・02平方キロメートル、居住者数3万8350人、雇用者数5万5919人 ※2020年時点)の成り立ちをかなり端折って説明するので、頭にたたき込んでいただきたい。

 “超お金持ち"や“セレブ"が跋扈(ばっこ)すると思われているモナコも、そもそもはイタリアの“山賊"により乗っ取られた土地なのである…(汗)。

 1191年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世からこの土地を与えられたイタリアのジェノヴァ共和国は、1215年に植民地としてモナコを再建。ところがこの土地に1297年、イタリア・フランシスコ会の修道士に変装、法衣の下に武装して攻め込んだイタリアのフランソワ・グリマルディらが要塞(ようさい)を占拠した。

 名実ともにグリマルディ家がモナコを手に入れるのは15世紀に入ってからだが、直系ではないものの、この“山賊"の末裔(まつえい)こそ現在のモナコ公であるアルベール2世(アルベール・アレクサンドル・ルイ・ピエール・グリマルディ)。そして、彼の父であるレーニエ3世(レーニエ・ルイ・アンリ・マクサンス・ベルトラン・グリマルディ)の時代に、ようやくモナコは飛躍的な発展を遂げたと言ってもよいだろう。

 第二次世界大戦でイタリアやドイツに攻め込まれたモナコでは、終戦から間もない1949年にレーニエ3世がルイ2世の死去によりモナコ公として即位。小国ゆえに第1次産業や第2次産業はなく、税制優遇措置に引き付けられたヨーロッパの有閑階級が集まり、19世紀から開業していたカジノ収入で何とかモナコは糊口(ここう)をしのぐような“いかがわしい隠れ家"といった破綻寸前の“ショボイ国"だった。

 しかし、1953年にモナコの将来を決定づける出来事があった。ギリシャの海運王として世界に名をはせていたアリストテレス・ソクラテス・オナシスがモナコに立ち寄り、レーニエ3世に投資を申し出たのである。カジノ、ホテル、ヨットクラブなどの不動産を保有するモナコ海水浴協会(SMB=ソシエテ・バン・ド・メール)の株式を購入しただけでなく、オナシスは交流のあったウィンストン・チャーチル元英国首相に対し、南フランスのカンヌやアンティーブと同じようにモナコへも観光客を優遇して送り込んでくれと要請した。

 さらに米国の政界(J・F・ケネディ米国大統領夫妻など)、財界(米国石油王のジャン・ポール・ゲティなど)、映画界(エリザベス・テイラーやグレース・ケリーなど)で幅広い人脈を持っていたオナシスは、“ショボイ国"モナコの大公レーニエ3世の世界的な知名度を高めるべく、ハリウッド女優と結婚させようと画策。最初はマリリン・モンローを勧めたのだが、レーニエ3世は乗り気ではなく、結局のところグレース・ケリーをあてがって事なきを得たという…(汗)。

 1955年のカンヌ映画祭をきっかけに出会った2人は間もなく意気投合、翌年4月に結婚式を挙げた。ハリウッド女優というオナシスの人選は当然だった。当時はインターネットなど影も形もなく、テレビの普及率も低かった。幅広く情報を行き渡らせる手段として、世界の各国各地で上映される映画とそれに出演する俳優を活用するというのは当時まったくもって最善であり、オナシスのもくろみはその後のモナコの発展に大きく寄与したと言えるだろう。

 現在、モナコの歳入に占めるカジノからの収入は半世紀前から激減して約2%にしか過ぎず、今では観光収入がメイン。え? タックスヘイブン(租税回避地)? ここモナコでそれは半世紀前までのハナシにすぎない。で、超高級ホテル、3つのカジノ、7つのコンベンションセンターとイベント会場などの施設へオペラ、バレエ、フィルハーモニックオーケストラ、オーディオビジュアル、ドラマ、フェスティバル、展示会、スタジアム、モーターレーシングなどのイベントが年始から年末まで詰め込まれ、モナコの経済発展に寄与しているのだ。

 で、タイトルでも記したF1モナコGP消滅の危機についてである。そもそもバーナード・エクレストンがF1最高経営責任者だった当時にタキ井上が彼から聞いていたハナシとしては、モナコGPはF1で最も重要なイベントだから、開催権料はタダでよい。ただし、2桁億円は必要な設営・運営経費(仮設観客席、安全設備、人件費など)はモナコ持ちという内容だった。チームもドライバーもモナコは特別と理解していた。

 今回のF1モナコGP消滅の危機では、現在F1の運営を取り仕切る米国のリバティメディアが金もうけに躍起になっているだけである。ほかのF1開催地に比べて開催権料でモナコは優遇されすぎているとか、追い抜きが不可能なコースなどと批判してチームやドライバーを巻き込んだモナコバッシングに躍起になっているというのが僕の印象である。リバティメディアもチームもブラフをかまして、モナコからさらなる資金を引き出そうとしているだけで、モナコの歴史や伝統に敬意をこれっぽっちも払わないやつらが何を言っているんだ? とさえ感じる。

 例えば、インディ500がない米国のオープンホイールカーレースシリーズってどうなの? 結局のところ、1990年代から2000年代に続いたIRL(インディレーシングリーグ)とCART(チャンプカーワールドシリーズ)の主導権争いは、劣勢ながらも最終的にインディ500の開催権を持っていたIRLに軍配が上がった。また、世界耐久選手権(WEC)においても、ルマン24時間がシリーズに含まれていないとしたら、自動車メーカーやチームは参戦に二の足を踏むだろう。F1にとってモナコGPとは、それと同じくらい非常に重要なイベントなのだ。

 ということで、日本のF1ファンの皆さんには、「わがF1モナコGPは永久に不滅です!」という、日本プロ野球・読売ジャイアンツのミスター長嶋茂雄さんの引退宣言でのせりふをもじって紹介し、本稿の〆としたい。え? 誰も知らない? それは失礼いたしました…(汗)。

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▼タキ井上 1963年9月5日生まれ、58歳。神戸市出身。本名は井上隆智穂。94年F1日本GPでシムテックからデビュー。95年はアロウズでフル参戦し、決勝最上位は8位。ただし、当時の入賞は6位までで、ポイントは得られなかった。96年はミナルディへの移籍発表後、開幕前にシートを喪失。F1の世界から追い出された。その後は、ヨーロッパで若手選手のマネジメントに心血を注ぐ。モナコ在住。

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