88年はセナ&プロスト黄金時代
65年ごろ埼玉・和光の研究所を訪れてF1マシンを見学した皇太子時代の天皇陛下(右端)に説明する本田宗一郎氏(右から3人目)
65年ごろ埼玉・和光の研究所を訪れてF1マシンを見学した皇太子時代の天皇陛下(右端)に説明する本田宗一郎氏(右から3人目)
 ホンダのF1挑戦は、創業者・本田宗一郎氏の情熱にけん引されて始まった。記念すべきデビュー戦は1964年第6戦ドイツGPで、R・バックナムが“葉巻型”の「RA271」を初めて走らせた。それからわずか11戦目の翌65年の第10戦メキシコGPではR・ギンサーが初勝利を挙げ、Hondaの名前が世界にとどろいた。67年にも1勝し、68年で第1期挑戦を終えた。

 その後、低公害エンジンに没頭してF1から遠ざかるが、CVCCエンジンのめどが立つと83年に復帰。これが第2期挑戦で、第1期のようなフル・コンストラクターではなく、エンジンのみを供給するサプライヤーだったが、ここでホンダは黄金時代を築く。

 とくにウィリアムズとマクラーレンはチャンピオンを輩出し、88年は故A・セナとA・プロストを擁するマクラーレンが16戦15勝という大記録を達成。あまりの強さに同年限りでターボ・エンジンが禁止された。NA(自然吸気)エンジンになった89年も3年連続で両タイトルを守り、技術力の高さを欧州で証明した。92年で第2期挑戦を終えたが、この10年間の勝利数は69に上る。日本人初のレギュラー・ドライバー中嶋悟やセナらが登場し日本でもF1ブームが起きたが、そのすべてがホンダ絡みだった。

 7年間のブランク後、00年に同じエンジン・サプライヤーとしてF1に復帰し第3期挑戦を開始。ジョーダンにも2年間エンジンを供給したが、一貫してBARと提携。05年までフル参戦して結局未勝利に終わる。

 06年にはBARを買収し、シャシーも製造するコンストラクターとして再出発を図る。その年、J・バトンが第13戦ハンガリーGPで優勝を飾ったが、多分に展開に恵まれたもの。07年以降はマシン製作に失敗して低迷、第3期は往年の強さが見えないまま足かけ45年間にわたるF1活動に幕を下ろした。

 [ホンダのF1成績]
 ★全72勝=コンストラクターズでは第1期(64〜68年)35戦2勝、第3期(06〜08年)53戦1勝で計88戦3勝。エンジン・サプライヤーではウィリアムズ23勝、ロータス2勝、マクラーレン44勝で計69勝

 ★全77PP=ポールポジション(PP)は第1期、第3期各1回でコンストラクターズとしては計2PP。エンジンではウィリアムズ20回、ロータス1回、マクラーレン52回、BAR2回を合わせ75PP

 ★ドライバーズ・タイトル=エンジンで計5回。87年N・ピケ(ウィリアムズ)、89年A・プロスト(マクラーレン)、88、90、91年A・セナ(マクラーレン)

 ★コンストラクターズ・タイトル=エンジンで計6回。86、87年ウィリアムズ、88−91年マクラーレン