プロストのメッセージ
90年5月12日掲載
トーチュウを読むプロスト=(C)Chunichi
トーチュウを読むプロスト=(C)Chunichi
【アラン・プロストのプロフィール】
 1955年2月24日生まれ、50歳。フランス出身。仏F3王者を経て、80年にマクラーレンからF1デビュー。81年にルノーに移籍し、その後マクラーレン、フェラーリ、ウィリアムズに在籍。93年に引退するまで4度(85、86、89、93年)のタイトル(歴代3位)。M・シューマッハーに破られるまで最多勝(51勝)、最多獲得ポイント(798.5ポイント)、最多ファステストラップ(41回)の記録ホルダーだった。97年から01年までプロストGPのオーナー。

 プロストは90、91年(ともにフェラーリ)、93年(ウィリアムズ)に「マイ・バトル」のタイトルで、また浪人中にTV解説者をしていた92年は「プロフェッサーとGPを観よう」のタイトルで、トーチュウに独占的に手記を寄せていた。このシリーズは、その復刻版である。

「真実のフォーミュラ・ワンを伝えたい」

 いま、私はフェラーリ・チームに栄光のチャンピオン・タイトルを再びもたらすために、最大限の努力を傾けながら、90年F1チャンピオンシップを戦っている真っ最中です。昨年まで日本のホンダ・エンジンで走り、マールボロ・マクラーレン・チームで89年チャンピオンになれたことは、私にとって非常に名誉なことです。私がF1グランプリを戦うようになって10年目の昨シーズンは、マールボロ・マクラーレンとの6年間の生活にもピリオドを打つシーズンになってしまいました。これはとても残念なことでした。

 私が日本で初めてF1グランプリを戦った87年から、1年ごとにファンが増え、関心が高まり、フォーミュラ・ワンがポピュラーになっていくのを感じてきました。これは私に対する声援だけをみて言っているのではありません。多くのF1ドライバーを代表して言っているのです。実にうれしいことです。

 これから、『東京中日スポーツ』の紙面を通じて、私はさらに多くの日本の方々にフォーミュラ・ワンの魅力を知ってもらえたら、と思っています。私が戦うフェラーリのコックピットから何を見、何を感じたか。グランプリ・レースのありのままを、日本のF1ファンに直接語れる機会をもつことができてとてもうれしく思っています。これから私が『東京中日スポーツ』で語っていくことは、日本で唯一の私のコラムだということなのです。

 ことし私はもしかすると、日本のエンジンを数年ぶりに打ち破るドライバーになるかもしれません。もしそうなったとしても、私がプロフェッショナルとして仕事に最大限の努力をしたに過ぎません。F1グランプリの戦いがどれほど過酷で、激しくつらく、成功をおさめるのが難しいものか。また、どれほど痛快で、雄々しく、栄光あるものか。私のコラムを通じて真実のフォーミュラ・ワンを知っていただけたら幸いです。(訳・今宮雅子)

(次回は90年サンマリノGP編、モナコGP編を掲載します)