Round 3 サンマリノGP
(90年5月16日掲載)
コクピットに座り、集中力を高めるプロスト=(C)Chunichi
コクピットに座り、集中力を高めるプロスト=(C)Chunichi
◆ Round 3 サンマリノGP
◆90年5月11〜13日 イモラ・サーキット(アウトドローモ・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ)
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽決勝 R・パトレーゼ(ウィリアムズ・ルノー)
 【プロストのサンマリノGP】
 ▽予選 1分25秒179 6番手
 ▽優勝 1時間31分02秒321 4位

「ニューマシン641−2は期待はずれ」

 イモラに来て僕が見たものは、ものすごい数の群衆だった。ここ“アウトドローモ・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ”はフェラーリの地元だけに、その数はすごい。他のどこにもないバイブレーション、雰囲気、熱狂の渦を感じた。

 ティフォシ(熱狂的フェラーリファン)やパパラッツィ(有名人に群がる追っかけカメラマン)たちは驚いていたようだ。彼らの多くは、僕がブラジルとサンマリノの間に7週間のバカンスを取り、元気いっぱいでここにやって来ると思っていたのだ。

 しかし僕にはバカンスなんて全然なかった。僕はほとんどの時間をイモラやフィオラノでのプライベート・テストに費やしていた。その上、木曜日にジュネーブからイモラのサーキットに向かってたつ前に、のどを痛めてしまった。そんなわけで、僕の声はひどいものだった。結果、チャンピオンは元気ではなかったのだ! それに加えて、フェラーリからの良い知らせはなかった。僕がとても期待していた新しいエンジンは、まだ用意ができていなかったのだ。フェラーリは従来型エンジンでは、その特有のセミオートマチック・ギアボックスとエンジン自体のせいでブレーキングの時に車の姿勢が崩れ、少なくともそこで勝負することができなかった。

 そこでフェラーリのエンジン担当者たちは安定したブレーキングを得るために、新型エンジンには大きなモディファイ(改良)を加えていたのだ。残念なことに、マンセルと僕がやっとそのエンジンと対面できたのは予選初日だった。

 したがって、奇跡が起こらない限り、サンマリノ・グランプリでは新型エンジンは使えない。一方、こんな曇った雰囲気の中で、いいこともあった。予選2日目、僕は少しモディファイしたマシン、“プロスト・スペシャル”を与えられることになったのだ。

 改良型フェラーリ641/2はいくつかの有利な点を備えていたが、不利な点もあった。新レギュレーションによる大きなバックミラーが乱気流を生み出し、トップスピードに近くなると、僕のヘルメットの下部にそれが直接当たるのだ。

 僕はこういうふうに考えた。641/2には明らかに何かうまくない部分がある。イモラで何回もプライベート・テストを繰り返していた時には出なかった問題が何かある。僕は「それならただ単に古い641に戻ればいいのじゃないだろうか」と自問してみた。

 自動車レース、特にフォーミュラ1においては、技術的な面で一歩後ろに戻るということは非常に難しく、場合によっては不可能ですらある。特にパーツの問題がたくさん起こるのだ。それでも僕はあえて641に戻るという決断をした。そしてサスペンションは642を使う。

 土曜日のフリー走行の時には僕のレース用の車とTカーはこのように変更されていた。ガソリンをいっぱい積んで、レースセッティングでタイムを出すことができた。しかし、1秒近くもタイムを縮めたにもかかわらず、ポジションは6位にとどまった。というのは他のみんなもタイムを出してきたからだ。6位のポジションでは、レース序盤でトップ争いをすることは僕にとって難しすぎる。それに加えて気温が非常に高くなってきていることを考えて、僕は次のようなタイヤの選択をした。

 できるだけ硬いタイヤを選んだほうが良い。それはグッドイヤーでは1番硬いBハードを選ぶということだった。こうすれば、僕は距離をかせぐことができ、トップグループがタイヤ交換のためにピットインする時にも、ストップする必要がなくなるだろう……彼らは確かに最初からグリップの良いCタイヤで勝負してくるはずだ。

 この選択が正しかったかどうか、僕には正確なところを判断する時間がなかった。というのは、スタート直後の第1コーナーでマンセルが僕をコースの外へ押し出すような形になり、結果、タイヤが傷み、泥まみれになった上にラジエターの吸気口いっぱいに土がついてしまい、アクセルペダルさえひっかかるようになってしまった。あまりにも多くのことがスタート直後の500メートルのあいだに起こってしまった。

 マンセルは逃げ、僕はまったく予想していなかったタイヤ交換を強いられることになってしまった。27周目を終えた時点でピットに入った僕はCタイヤを選んだ。そのあと僕は3位にいたナニーニを再び捕らえるべく、すばらしい追い上げを開始した。そして彼との10秒以上の差を一気に詰めてしまったのだ。

 ところが車がだんだん運転しづらくなってきた。アクセルがひっかかり、オイルが漏れ始めて後輪を滑らせ始めていたのだ。ナニーニを抜こうとするのは間違いだった。それより4位入賞、3ポイントを確実に取ったほうがいい。トップグループはタイヤ交換なしに走行を続けていたのだから。

 次はモナコ・グランプリだ。僕たちはそこでお祝いをすることはできないだろう。僕たちの車はモナコのようなサーキットには向いていないからだ。僕は少なくともピレリ・タイヤがその戦闘力を保持していないかぎりは、マクラーレン・ホンダが優勝するだろうと予測している。

 ピレリが良ければ、ジャン・アレジとティレル・コスワースがいいレースをすることになるだろう。そうなれば僕たちのチャンピオン争いには好都合。ますます混戦になってくるからだ。だからといって、僕たちが指をくわえて見ているというわけではない。サンマリノGPの翌日、僕はフィオラノに出かけた。もちろん、次の第4戦、モナコGPにそなえてテストするためだ。(訳・今宮雅子)