90年Round 4 モナコGP
(90年5月30日掲載)
エンジニアの話に真剣に耳を傾けるプロスト=(C)Chunichi
エンジニアの話に真剣に耳を傾けるプロスト=(C)Chunichi
◆ Round 4 モナコGP
◆90年5月24、26〜27日 モンテカルロ市街地コース(サーキット・デ・モナコ)
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 A・セナ
【プロストのモナコGP】
 予選2日目にセナに0秒462迫るタイムで2番手スタート。レースは最初の周回、約2km地点のミラボー・コーナーでG・ベルガー(マクラーレン)に追突され、レースは赤旗中断・再スタート。パドックまで走って戻りスペアカーに乗り換え、27分後に再スタート。2度目のスタートではJ・アレジ(ティレル)、ベルガーをブロックし、ずっと2番手を走る。が、31周目に突然ピットイン、そのままリタイアした。

「バッテリーが壊れた」

 モナコ! そう、ここは難関だ。僕は前回のこのコラムで、フェラーリはここでは決して楽観的にはなれないだろうと予測していた。

 フェラーリのマシンは広々としたコースにだけマッチする。だから、モナコやモントリオール(メキシコは含まないが)では、できるだけロスを少なくし、数ポイントでも稼いでいかなくてはならない。それがヨーロッパの広大な平原で行われるフランスGPやスペインGPに行くまでにやらなくてはならないことなのだ。が、すでにご覧になったとおり、モナコに関する限り、僕は自分の目標を達成することはできなかった。

 最初のスタートの直後、僕はミラボー・コーナーでジャン・アレジのティレルにあえて道を譲らなくてはならなかった。彼が、抜くには遅すぎるタイミングで僕にアタックしてきたからだ。僕は慎重にステアリングを外側に切って接触を避けるしかなかった。その結果、ベルガーまでもがこのチャンスを利用しようとして僕の内側に飛び込んできたのだ。アレジに関しては“非常に遅いタイミング”で襲いかかってきたが、ベルガーのは“遅すぎたタイミング”だった。彼自身、僕を抜こうと決心した時点で、そのためのラインにはいなかったのだから……。

 結局、接触だ。その代償は高いものになってしまった。もし今回のTカーを僕が担当する番だったのなら、レースが中断されたことは2度目のチャンスとなったかもしれない。でも予定されていたTカーはマンセルのものだった。Tカーがマンセルの体格に合わせてあったことよりも、彼のやり方でセッティングされていたことのほうがずっと大きな問題だった。僕と彼のドライビングには全くといっていいほど共通点がないからだ。

 2回目のスタートのあと、僕はセナのリズムについて行こうとした。でも、それは無駄なことだった。一番うまくいって表彰台を目指せる(それは僕の計画でもあった)という状態だったからだ。といって優勝の望みを捨ててしまったわけではない。だが、レース中盤を少しすぎたころ、エンジンは大きな兆候も見せずに止まってしまった。それも突然に。電気系のトラブル、セミ・オートマチック・ミッション・システムの一部であるバッテリーが壊れたのが原因だった。

 F1ではもちろん「もし」という言葉を使えばどんなことでも言えるのかもしれない。でも、もしあの接触がなければ、もっとうまくいっていたはずなんだ。まず第一に、11位のタイムだった木曜日の朝を除いて、予選は素晴らしいものだった。木曜の朝までに、僕は自分のマシンを6速バージョンにしてくれるように頼んでいた。いつもは7速バージョンなのだが、モナコGP用に改良を試みたのだ。そのためには、新しいギアボックスを積むということではなくて、7速ギアボックスのピニオンという部品と、それに関連するコンピューターのプログラムを組み替えることが必要なのだ。これはモナコに限って言えることだけれど、予選用のセッティングにも本番のレース用のセッティングとほとんど同じくらい、時間や労力を捧げなければならない。というのは、スターティング・グリッドのポジションがとても大切だからだ。

 僕は予選に没頭していた。そして最終的にはそれはうまくいった。2位のタイム、すなわち2番目の位置からスタートできるということは、抜くポイントのほとんどないこのモナコのコースではとても大切なことなんだ。このアップダウンの大きなサーキットではフェラーリが最大限のパワーを発揮できないことを考えると、これは望んでいた以上の結果だった。

 そして迎えた日曜日の朝の30分のウオームアップ。幸い、僕はフェラーリの車のことがよくわかり始めていたので、開発担当のエンジニアと2人で、当て推量でもほとんど完ぺきとも思えるセッティングを決めることができたと思う。というのも、マクラーレンのセナからわずか10分の1秒差の2位のタイムをマークすることができたからだ。正直、僕は優勝も狙えると思っていた−−。このように、最終的にはすべて準備できていたのに、すべてが徒労に終わってしまった。

 話は変わるけど、金曜日に僕は「明日は明日の風が吹く」と考えることにして、モナコの伝統の休日(金曜日にはF1の走行がまったくない)を少しゆっくり過ごすことができた。大好きなゴルフもできたし、豪華なヨットで十分に海の散歩を楽しんだ。でも、モナコGPの翌日の月曜日にはもう、僕はポール・リカーリ(フランス)にやってきた。これからのレースのために新しいフロント・サスペンションとリア・ウイングをテストするためだ。この仕事をやっていると、ゆっくり休めるとは決してないんだ……。(訳・今宮雅子)

(次回は、カナダGP編を掲載します)