90年Round 11 ベルギーGP
(90年8月29日掲載)
セナ(手前)を追走するプロスト(奥)=(C)Chunichi
セナ(手前)を追走するプロスト(奥)=(C)Chunichi
◆ Round 11 ベルギーGP
◆90年8月24〜26日 スパ・フランコルシャン
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 A・セナ
【プロストのベルギーGP】
 予選3位。が、決勝日朝のウオームアップ走行でトップタイムを出し、レース用セッティングの確かさを示した。スタートから13周目まで3番手をキープ。14周目にベルガーを抜き、セナにジリジリ迫る。0・494秒差に迫った22周、2人同時にピットイン。しかし、セナがナニーニの直前で強引にコースに戻ったのに対し、プロストは一歩遅れ。このため、ナニーニを抜くのに4周も手間どり、セナに差をつけられてしまい、ついに届かなかった。ドライバーズポイントで前戦よりさらに3点開く13点とセナに大差をつけられてしまった。

「タイヤ運が悪かった」

 ボクにとってこの夏は難しい季節になった。メキシコ、フランス、イギリスでの3連勝は、キャリアの中でも最も貴重なもののひとつに数えられるけれど、その後のボクは困難な時期に直面してしまった。

 ドイツGPではタイヤ交換に失敗しただけでなく、ギア比が低すぎて、エンジンをオーバーレブぎりぎりまで回さなければならなかったし、ハンガリーでは期待できる位置にいたにもかかわらずギアボックスのトラブルでリタイアしてしまった。そしてベルギーGPだ。ベルギーでは木曜日、フェラーリが公式発表を行った時からすべてが始まった。これはだれも疑ってはいなかったことだと思うけれど、91年にボクがフェラーリのステアリングを握ることが発表されたのだ。そして、当然のことながら、ボクは“チームメートはだれになるのか?”という質問攻めにあった。

 ベルギーGPの時点でボクが知っていることと言えば、ボクのチームメートはフィアット・グループとフェラーリにかかわるすべての部門の意見の一致によって決まるということだけだ。それでもボクは、ジャン・アレジとピエル・ルイジ・マルティニ、そしてだいぶ離れたところにイヴァン・カペリを並べてチームメートの予想をさせられそうになった。こんなふうにして、グランプリの始まる前日は過ぎていった。

 ボクにはもっと急いでやらなければならないことが残っていた。とくに、このフランコルシャン・サーキットの複雑ではあるが素晴らしいコースに合わせて、車をセッティングすることが重要だったけれど、ボクはフェラーリのことはよくわかっているから簡単だった。金曜日の最初のフリー走行が終わるころには、ガソリンを積んだ状態でシャシー・バランスが最高だということがわかった。そして土曜日の朝のフリー走行を満タン状態で走ってみて、このことは確認された。

 もうひとつ必要なのは、予選を乗り切ることだった。ボクはトコトンまで攻めようと決めていた。金曜日の午後の予選、そして続く予選に備えた土曜日の朝のフリー走行でも同じようにボクはそれを証明してみせた。しかし、今までのレースでボクはいいタイヤに当たるのは運(これは本当に大切な言葉だと思う)が必要だということを教えられた。土曜日の午後の予選で、ボクは最大限のことをしたけれど、最終的なスターティング・グリッドは3位だった。成り行きを説明するとセナは、いい予選用タイヤに当たらず、ずっと不利な状態にいたけれど、最後の、もっともいいタイヤが必要な時に、それに当たったのだ。

 タイヤに関して他にもうひとつ、これはレースタイヤに関することだけど、それがこの週末の大きな話題だったことを強調して言っておきたい。理由は簡単、フェラーリは現在グッドイヤーから供給されている“新構造”のタイヤより自分たちの車にマッチする“旧構造”のタイヤをチームのトラックに積んで持ってきたのだ。

 チェザーレ・フィオリオは一生懸命グッドイヤーを説得しようとしたけれど、それを邪魔したのはむしろボクたちの直接の競争相手だった。他のチームが、紳士協定という名目で、ひとつのグランプリではそのレースのために用意された中からタイヤを選ぶべきだと主張したのだ。そんなわけで、レースに関しては、ボクは予想されていたものより劣るタイヤで走ることに甘んじなければならなかった。でも、ボクは悲観的にはなっていなかった。まったくその逆だ。

 日曜日の朝ウオームアップ中、ボクは旧型のエンジンを積んだTカーに乗って最高のタイムを出した。そしてレースカーではもっといいタイムを記録したのだ。ボクはナニーニを10分の7秒、セナを1・2秒、マンセルを2秒引き離していた。そこでボクは、2台のマクラーレンのうしろでじっくり待ち伏せてやろうと考えた。そしてこの状況は、とてもボク好みのものだった。ご存じのように、レースでは3回のスタートが行われた。おかしなことだ。というのは朝のミーティングのときに、バレストル会長が、どうか慎重にスタートしてくれるようにと、はっきりドライバーに告げていたのだ。結局それは聞き入れられていなかった。そしてボクの同業者の中には、先見の明のない者がいたのだと思う。

 いずれにしろ、3回目のスタートはうまくいき、ボクは2台のマクラーレンのうしろにつくことができた。しかし実際のところ、この最初のラップこそがレース結果を決めるものだったのだ。このとても特殊なサーキットでは、ボクは他の車のスリップストリームを利用して走ることが難しかったという単純な理由からだった。つまり、他の車のうしろの気流の乱れの中に入ると、フェラーリはバランスを崩して、タイヤが減ってしまうのだ。ボクはベルガーを抜くのに13周もかかってしまい、そのあとセナと全く同時に、正確にレースの半分のところでタイヤ交換した。そしてまた、そこからナニーニを捕らえるまでに4周かかってしまった。

 それに加えて、周回遅れを抜くのに、今回ボクはまったくついていなかった。周回遅れの車に引っ掛かるのがいつも新コースの部分で、すぐにかわすことができなかったのだ。ボクがなぜ、セナのうしろの2位でゴールしたか、これで理解してもらえたと思う。

 でもボクは、人が言ったり考えたりしているようには、がっかりしていなかった。それは2つの理由からだ。まず第1に、ボクがレース中のファステストラップを記録して面目を保ったように、フェラーリはその競争力のすべてを見せてくれたと同時に、多くが要求されるこのサーキットでその信頼性をも取り戻したのだ。そして第2に、シーズンが終わるまでまだ5レースが残っている。もし、エンジンパワーがものを言うモンツァでまたマクラーレンが勝てたとしても、エストリル、へレス、鈴鹿、アデレードではむしろ、フェラーリの方が有利なのだ。

 結論として、ボクはフランコルシャンでは、マイナスを最小限にくい止めることができたといえるだろう。そして、それこそがなすべきことだったのだ。(訳・今宮雅子)

(次回はイタリアGP編を掲載します)