90年Round 14 スペインGP
(90年10月3日掲載)
ピットアウトするプロスト=(C)Chunichi
ピットアウトするプロスト=(C)Chunichi
◆ Round 14 スペインGP
◆90年9月28〜30日 ヘレス・デ・ラ・フロンテラ
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 A・プロスト(フェラーリ)
【プロストのスペインGP】
 ▽予選 1分18秒387 2番手
 ▽決勝 1時間48分01秒461 優勝

「この9ポイントはチャンピオン争いの情勢を変えた」

 ポルトガルGPのあとで僕がチームに対して発した警告は、十分な成果をもたらした。あの発言がアラン・プロストのイメージを高めなかったのは事実のようだ。でも、正直言って、僕はそんなことは気にしていない。

 来シーズンのためにも、すべてが十分にクリアになるよう、僕は自分の意見を声を大にして主張したかったのだ。エンジニアたちの努力によって得た技術、また、同様にチームをトップに維持していくために使われた莫(ばく)大な予算、フェラーリはこういったものに釣り合うチームになったところなのだ。

 僕はこのスクーデリアの、寛大すぎる一面に対して、はっきりと自分の考えを述べたかった。そして、今までのルノー、マクラーレン、そしてフェラーリでの経験から、証明されたことがある。それは、自分の意見を聞いてもらうためには大声で叫ばなくてはならないということだ。

 スペインGPの時、チームと僕の双方とも問題の調整は終わっていた。今シーズンが終わるまで、すなわちオーストラリアGPまでは静かな状態が続くということだ。でも91年シーズンはすでに始まっている。そして、多くのことが変わるだろうということを、僕はここで断言できる。

 だが、スペインではこの一件はすぐに忘れ去られてしまった。というのは予選の第1日目、不幸なマーチン・ドネリーの事故によって、僕たちははるかに悲劇的な経験をしたからだ。この事故に関しても、僕は自分の考えを隠さず話した。

 初めてこのヘレスを走った時から、僕には自分がこのコースを好きになれないことがわかっていた。ひとつはスポーツという面からだけれど、これはそんなに重大なことではない(訳者注…抜くポイントがなく、レース中の勝負ができないこと)。

 それよりもっともっと重大なのは、安全性の問題だ。また、このサーキットが出来て以来、このコースの安全性を改善するために、僕たちがFISAとともに多くの仕事をしてきたことも、読者のみなさんには思い出してもらいたい。

 残念なことに、コースとガードレールのあいだにエスケープがないことはドネリーが犠牲になった、こんな事態になって理解された。もし、僕たちがもう2度とこの南スペインのコースでグランプリを闘うことがなくなったとしても、僕は絶対に文句は言わないだろう。

 それでも、この事故は間違いなくシャシー構造の安全性の改善に役立つだろう。レギュレーションで抜本的な処置を取らないまでも、やるべきことはたくさんあるはずだ。例えばリアのディフューザーを小さくするとか、ウイングの表面積を小さくして、もっとシャシーに近づけるとか。

 さまざまなテストの結果によると、こうするだけでダウンフォースは現在のおよそ半分にまで減少できる。マシンをより快適で安全なものにするには十分だろう。というのは、僕たちはヘレスでは、遠心力による力が5G近くに達するという、限界の状態にまできてしまったからだ。おそらく、想像するのは難しいと思う。でも、これは僕たちが毎日接している現実なのだ。

 レースの話に戻ろう。予選の2日間、僕は何種類かのエンジンをテストした。特に、インジェクションに関してはスライドバルブによるものと、バタフライバルブによるものをテストしたのだ。

 土曜日の午後の予選で、僕は素晴らしいラップを記録した。でも、セナのタイムは手に負えないものだった。そして、一列目に並ぶことができたとはいっても、またレースセッティングの僕のマシンが素晴らしいとわかっていても、自分の状況に関して、僕はあまり幻想を抱いてはいなかった。

 僕は日曜日の朝のウオームアップで、セナを1秒も引き離して、最速のタイムをマークしていた。しかし、抜くポイントのないこのコースでは、セナを抜くことは実際不可能だった。また、レースはタイヤにとっても厳しいものになるはずだった。最低でも一回は交換することになるだろう。

 僕にとってたったひとつのアドバンテージは、自分の体力だけだった。ドライバーにとって過酷なこのコースでは、体力が大きくものをいうのだ。しかしながら、フェラーリチームでは今シーズンのこれまでのグランプリとはちがうことがひとつあった。そしてこれは大きなことだ。僕たちはウオームアップが終わると、本当の意味での作戦を練ったのだ。

 この作戦とは次のように非常に単純なものだ。僕は決してひとりでレースをしてはいけない。逆に、セナを最後の最後まで追い詰めるため、最大限のことをする。

 また同時に、マンセルは僕から離れてはいけない。そして、マクラーレンチームを攪(かく)乱するために、マンセルを僕より前、比較的早めにタイヤ交換させる。僕もナイジェルも、この戦略どおりに走った。

 僕自身のタイヤ交換については、26周目を予想していたけれど、実際にはそれより少し早くピットに入った。それでも僕たちの作戦は素晴らしくうまくいき、その上、セナのリタイアによって楽にもなった。僕の2回目のタイヤ交換は、ちょっとした遊びだった。

 残るはこれからのこと、すなわち日本とオーストラリアだ。僕はこのふたつのグランプリが特に大好きだし、フェラーリは力を発揮するだろう。読者のみなさんもおわかりのように、ヘレスで得た9ポイントはチャンピオン争いの情勢を変えたのだ。(訳・今宮雅子)

(次回は日本GP編を掲載します)