90年Round 15 日本GP〜パート1
(90年10月19〜20日掲載)
贈られたカブトを頭におどけるプロスト。右は岩井中日新聞東京本社代表、左は加藤東京中日スポーツ総局長=(C)Chunichi
贈られたカブトを頭におどけるプロスト。右は岩井中日新聞東京本社代表、左は加藤東京中日スポーツ総局長=(C)Chunichi
◆ Round 15 日本GP
◆90年10月19〜21日 鈴鹿サーキット
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 N・ピケ(ベネトン・フォード)
【プロストの日本GP】
 ▽予選 1分37秒228 2番手
 ▽決勝 0周(セナと接触) リタイア

「大好きな鈴鹿、そして高速コーナー」

(木曜日)
 みなさんもご存じのように、日本グランプリはタイトルの行方を決める決戦になるだろう。僕の直接のライバル、アイルトン・セナにはいくつかの場合が考えられるけど、僕のほうはややこしい計算はいらない。タイトルを取るためには、僕は勝たなければならない。それだけだ。そして勝つ前にやらなければならないことは、ポールポジションを取ること。最低でもスターティング・グリッドの2番目の位置を獲得しなければならぬということだ。

 僕はスズカのコースも、とてもテクニカルな高速コーナーも大好きだ。それに、フェラーリのシャーシはこれらのコーナーでその力を発揮してくれることは確かだ。でも、追い越しとなると話は別だ。F1では追い越しはだんだん難しくなってきている。もし、スタートでセナの前に出なかったら、彼を追い越すのは難しいだろう。

 しかしながら、僕はスクーデリア・フェラーリのエンジニアたちと、僕のチャンスをできるだけ大きくしようと努力してきた。特にエンジンに関する点では、フェラーリのエンジン担当者たちが驚くほど働いた結果、僕は新しいインジェクションを備えたエンジンを使うことになるだろう。予選でもレースでも、スライド式のインジェクションの代わりに、バタフライ式のものを使うのだ。実際のところ、このエンジンは、今シーズンを通して集められた知識の集大成だ。僕はこのエンジンをスペインGP後に、エストリルで長時間テストした。そして、もっと改良されたバージョンがイモラで試されていた。したがって、技術的な面はすべて準備が整ったと言えるだろう。あとはドライバーだけだ。そのドライバーは、元気満々なのだ。

 パリとスズカの8時間という大きな時差を調整するために、僕はできるだけ早くフランスをたった。月曜日の夜のJALに乗って、火曜日には日本に到着した。そして水曜日から、少しずつ疲れをいやしていった。

 きょう、木曜日、僕はサーキットに行き、メカニックといくつかの点を確認し、フェラーリのピットで彼らと一緒に昼食をとった。今夜は日本のジャーナリストのための記者会見に出席し、マールボロが用意したディナーに出席しなければならない。でも、僕はデザートの前に出てくるつもりだ。10時には眠りにつくために、僕は9時30分にはベッドに入りたいから……。


(金曜日・予選1回目)

 昨日のこのコラムを書き終えたあと、僕は少し運動がしたくなった。そして趣味と実益を兼ねて、僕はサーキットのコースをジョギングすることに決めた。

 このトレーニングをしながら僕はシケイン周辺のコースの外側が変わっているのに気が付いた。ここは昨年、僕とセナが接触した所だ。後々、尾を引いたこの話については、みなさんもよく覚えていることと思う。

 今年は、事は明確だ。シケインからエスケープに入ってしまった場合、再スタートすることはできない。マシンの進行方向の正面にタイヤが並べられ、コースとこのエスケープを仕切っているからだ。そして、その横には車を完全に止めてしまうよう、柔らかいサンドトラップが作られている。全員がこういう形で宣告されているのだ。

 ジョギングのあと、僕は素早くシャワーを浴びて、マールボロの記者会見に出席した。この記者会見が終わったところで、とてもうれしいセレモニーが僕を待っていた。みなさんが愛読している「東京中日スポーツ」の岩井正彦代表と加藤延之総局長から、本当に素晴らしいプレゼントを贈られたのだ。

 それは美しい兜だった。これは彼らが僕のことを好きだということで、僕は彼らのその気持ちに対して、ここで改めてお礼を言いたい。

 午後7時ごろにメカニックと一緒に食事をしたあと、僕はすぐにベッドへと急いだ。そして金曜日の朝、僕は完ぺきな状態になった。時差のことは、もう忘れたのだ。

 午前中のフリー走行では、特に予選のためのセッティングを決めるため、ガソリンをほんの少ししか積まないで走った。ご覧になった通り、コースが汚れていてグリップが悪かったせいで、スピンが続出したにもかかわらず、僕はすぐにうまいセッティングを見つけることができた。

 午後の予選では、僕は新しいエンジンを使った。そして2位のタイムを出した。シャーシが完ぺきだっただけに残念な結果だけれど、それでも僕は満足していた。どういう理由からかって? とても単純なことだ。新しいエンジンがまったく回らず、毎秒ごとに、エンジンが息をついた。最初、僕たちはコンピューターのトラブルが原因だと考えた。しかし、実際にはこの原因はケーブルの束に関する純粋に電気系のものだと分かったからだ。

 1セット目のタイヤで僕が走ったのは午後2時ごろだった。というのは、ガショーのコースアウトのせいで、予選が中断されていたからだ。そしてピット前のストレートの後、1コーナー入り口で、僕は砂じんの雲と黄旗にはまってしまった。

 今度はジャン・アレジがサンドトラップにコースアウトしてしまったのだ。僕は4位のタイムしか出せなかった。2セット目のタイヤでコースに出たのは2時25分のことだ。エンジンのトラブルにもかかわらず、僕は1分38秒684のタイムを出すのに成功した。僕はセナを負かし、ポールポジションのタイムを出したのだ。

 そして、このタイムアタックのあとの周回で、僕はゲルハルト・ベルガーに道をあけた。ポールポジションも彼のものとなった。それでも、僕は1列目に残ったけれど、すべてやり直すことが必要だ。

 これは明日、土曜日の仕事になるだろう。(訳・今宮雅子)

(次回は日本GP編パート2を掲載します)