90年Round 15 日本GP〜パート2
(90年10月21日掲載)
アラン・ドロン(奥)に激励を受けたプロスト=(C)Chunichi
アラン・ドロン(奥)に激励を受けたプロスト=(C)Chunichi
◆ Round 15 日本GP
◆90年10月19〜21日 鈴鹿サーキット
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 N・ピケ(ベネトン・フォード)
【プロストの日本GP】
 ▽予選 1分37秒228 2番手
 ▽決勝 0周(セナと接触) リタイア

「ボクのアドバンテージは左側からのスタート」

(土曜日・予選2回目)

 土曜日の朝、ボクはやる気満々でサーキットに着いた。計画はこの日のために練られていたし、ボクはそれを文字通りに守った。

 朝のフリー走行の間、ボクは予選とレースのための仕事を、同時に行おうと決めていた。それで最初に満タンのTカーに乗り、1時間ほど走った。エンジンの問題はあったものの、ボクはすぐにいいセッティングを見つけることができた。ボクは何度か連続周回を行い、満タン状態のフェラーリがマクラーレン・ホンダよりも速いことを示した。

 問題はシフト・チェンジのたびにエンジンの回転が落ちてしまうことだ。メカニックがこのトラブルを直している間に、僕はマシンを乗り換えて予選に備えた。しかし、同じような症状で、このマシンのエンジンも素晴らしいものではなかった。幸い、午後にすべてが調整され、素晴らしい戦いになったのだが。

 金曜日の午後、僕はベルガーの後ろ、セナの前にいたことを覚えていることと思う。13時30分ころセナが昨日を上回る1分37秒541をたたき出した。僕は3位に落ちた。これに満足できるわけがない。1セット目のタイヤをはいて、僕は最初のタイムアタックに入った。そして0・5秒タイムを縮めた。けれどこれは十分ではない。もっと悪いことに、マンセルはチェッカーの10分前に2セット目のタイヤで出て行き、ベルガーを抜く2位のタイムを出した。おかげで僕は4位に追いやられてしまった。

 一か八かの勝負をしなければならない。エンジンのポテンシャルを最大限に調整したフェラーリに乗って、僕は予選の最後の瞬間を待った。そして、セナのすぐ後からコースに出ていった。アイルトンは間違いなく最大限の力を発揮し、1分37秒を切るタイムを出すのに成功した。そして彼から10m後方でコントロールラインを通過した僕は彼に0・3秒及ばないものだった。

 しかし、僕は半分は自分のかけに勝っていた。ポールポジションからはスタートできないけれど、1列目からのスタートだ。そしてすべてはスタートで決まるだろう。小さなアドバンテージは僕のほうにある。ポールポジションは右側に位置しているけれど、通常ラインではコースの右側を使わないのだ。つまり、僕は有利な側から、ラインの上では少しアドバンテージを持ってスタートできる。これがまず第1に満足できることだった。

もうひとつうれしかったのは、僕の友達であり、また支持者であるアラン・ドロンと話ができたことだ。アランはスイスでは僕の隣人で、仕事のためにしばしば日本に来ている。彼は僕を勇気づけるために、この日本グランプリに来てくれたのだ。僕は本当にうれしかったし、彼にお礼を言いたい。明日、スタートの時にも、彼はサーキットにいるだろう。(訳・今宮雅子)

(次回は日本GP編パート3を掲載します)