90年Round 15 日本GP〜パート3
(90年10月23日掲載)
無念を胸に秘め鈴鹿を引き揚げるプロスト=(C)Chunichi
無念を胸に秘め鈴鹿を引き揚げるプロスト=(C)Chunichi
◆ Round 15 日本GP
◆90年10月19〜21日 鈴鹿サーキット
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 N・ピケ(ベネトン・フォード)
【プロストの日本GP】
 ▽予選 1分37秒228 2番手
 ▽決勝 0周(セナと接触) リタイア

「彼は反スポーツ的で危険なドライバーを自ら証明した」

(日曜日・決勝)
 この日本グランプリについて、僕は多かれ少なかれ楽観的な予想を述べてきた。そして最悪の場合を考えても、こんなシナリオは想像できなかった。

 例えば、セナが僕の前にいた場合、絶対にシケインで彼にアタックしてはならないことは分かっていた。というのは、スズカ・サーキットのほとんど全部がそうであるように、ここでも追い越しは不可能だからだ。でも、彼があんなことをするなんて、一瞬たりとも想像しはしなかった。すなわち、彼が常に言っているフェアプレーと相いれないばかりでなく、非常に危険な行動に出たということだ。おそらく彼は、自分がガケっ縁に立たされたと思ったのだ。

 金曜、土曜と、僕はフェラーリで順調に予選を戦ってきた。僕はレースカーのほかに、Tカーを用意されていて、このマシンを予選用の車として使うこともできた。そして、ポールポジションを取るために、最大限のことをした。しかし、ご存知のとおり、それはできなかった。逆に、レースセッティングのほうは素晴らしい出来だった。金曜日の朝、素早くセッティングを決めた僕は、ガソリンを満タンにしてシャーシ・セッティングを念入りに仕上げていった。そして電気系とコンピューターの小さなエンジントラブルがあったにもかかわらず素晴らしい仕上がりだった。

 ウオームアップではマンセルの後ろ、2位のタイムだったけれど、これは僕がベストラップを記録した周回で、僕に気付いていなかったカペリを避けなければならなかったからだ。気にかかるのはほんの少し、ブレーキのことだけだった。それで、少し変更を加えたが、グリッドにつくための周回ですべて正常な状態になったことが分かった。

 セナは僕の右、ポールポジションにいた。これから決戦を交えようとしている僕たちの緊張はすごいものだった。日曜日のレースを迎えるまで、ポールポジションの位置について、多くが語られた。セナはポールポジションの位置を右側から左側に変更することを主張していて、僕は彼の意見の主要な支持者でさえあった。予選で最高のタイムを出した者が、どちら側からスタートするか決めるのは当たり前のことだと思っていたのだ。残念ながら、レギュレーションは絶対だ。何も変えることはできない。これが僕のせいだろうか?

 グリーンシグナルが点灯し、僕は自分の力のすべてをスタートに注いだ。そして1コーナーに差しかかった時、僕はすでにある距離のリードをとっていた。セナにはもう遅すぎた。僕がトップの座を奪ったのだ。彼が僕に接触したのはこの時だった。故意にだ。僕は全責任を持ってこう言うことができる。どうしてかお分かりだろうか? テレビの映像をよく見てほしい。接触の時に彼のマクラーレンが僕のフェラーリの横には来ていなかったことがわかるだろう。彼のフロント・ウイングが最初に飛んだことが、それを証明している。また、僕に接触する前でさえ、マクラーレンの右前輪が縁石に乗り上げていることも分かるだろう。

 結論として言えるのは、彼が僕を抜ける位置にはいなかったことだ。彼はそれをよく分かっていた。このため、そしてまた、僕をつかまえるのが難しくなることを知って、彼は僕を故意に突き飛ばした。

 セナは反スポーツ的であるばかりでなく、非常に危険なドライバーであることを自ら証明した。少しの間考えてみてほしい。もし、2台のマシンが横になってコースの真ん中に止まってしまっていたら……そこにグリッドに並んでいた車が全部、全開でなだれ込んで来るのだ。僕はそんなことは考えたくないけれど。

 オーガナイザーにも強く言いたい。あのケースでは当然、再スタートの処置が取られてもおかしくない。なのに、なぜ赤旗を出さなかったのか。僕は許すことはできない。そして、彼らがコースサイドの上にまき散らされた車の破片をそのままにしておいたのも、彼らの無責任のあらわれだ。

 僕はずっと前からこう強調してきた。フォーミュラ1は素晴らしい、感動的なスポーツだった。今日では、そしてこんな状況では、もうそうではない。いずれにしろ、僕はもう、あんまり関心がなくなった。(訳・今宮雅子)

(次回はオーストラリアGP編を掲載します)