90年Round 16 オーストラリアGP
(90年11月7日掲載)
ピットに入るプロスト=(C)Chunichi
ピットに入るプロスト=(C)Chunichi
◆ Round 16 オーストラリアGP
◆90年11月2〜4日 アデレード市街地コース
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 N・ピケ(ベネトン・フォード)
【プロストのオーストラリアGP】
 予選4位、決勝3位と見せ場なしでシーズンを終えた。決勝日、ドライバーズミーティングを途中退席し警告処分を受けたり、歴代チャンピオンの記念撮影、90年全ドライバーの記念撮影もすっぽかすなど不可思議な行動をとった。グランプリでは元チャンピオンのジャッキー・スチュワート氏(英)が「鈴鹿のアクシデントはインをあけたプロストのミス」と指摘したリリースが出されたり、ジェームス・ハント氏も同じような発言をしたりしたため、ジャーナリストの質問が集中し、すっかりご機嫌をそこねた。

「もうどの国のプレスとも口をきかない」

 日本GPの悪夢のような出来事のあと、僕はオーストラリアの太平洋岸でバカンスを過ごした。毎年そうするのが僕の習慣なのだ。素晴らしいバカンスを十分な期間過ごすことによって、僕はすべてを忘れてしまうことができた。

 ところが水曜日の夜アデレードに到着した時、また、木曜日の朝サーキットを訪れてみて、僕は波たんが広がっていることを理解した。ある者は真実に反することを支持し、またある者はそれに乗じ、そして新聞に掲載された発言や、記事の誤った解釈に頼る者までいたのだ。要するに、僕が今まで見たこともないような大きな騒ぎが起こっていたのだ。僕はそれに限界を感じ、しまいには大きな落胆に襲われた。こんな馬鹿げた状況において、間違った主張や間抜けな言葉、しまいにはまったく筋違いなことまで答えるために、人は時間を過ごすのだと僕は気がついた。これが、僕が突然すべてをほうり出したくなった理由だ。

 もし、僕がまたF1で走り続けるとしたら、それはドライビングの喜びのため、マシンやチームに身をささげ、技術者の仕事を尊重するためだ。理解できないようなことを説明したり、真実とうその区別をしたり、言ってはいないことを否定したり、といったことに努めるためではない。雰囲気は以上の通りだった。僕はこのことをもう話題にしたくない。でもコース上では? 日本GPのようなことが起こったあとで、ドライビングの喜びを見いだせると思うだろうか? 僕はまったくそうは思わない。そして、“スポーツ権能(FISA)”が果てしなく繰り返す発表も、僕を安心させてくれるものではない。したがって、僕は自分の将来について決心しなくてはならないだろう。

 レキップ紙で伝えられた通り、実際は、僕はフェラーリに、他のドライバーを探すことを考えることになるかもしれないと言った。この、悲しみと幻滅の入り交じった気まぐれのような言葉はしかし、完ぺきなまでに落胆した結果出たものだ。そして僕が非常に真剣にF1をやめようとしていることは本当だ。最高のレベルのレースが最悪の状態に陥っている。この世界にこれからも身を置くかどうか、スポーツ権能、すなわちFISAがモータースポーツを守るためにどういう決定をするか、僕は待ってみようと思う。

 僕はまだ、いつ決心するかという日程はまったく決めていない。今のところ、アデレードでもはっきりしたように、もう僕はどの国のプレスとも口をきかない。それによってまじめで、ちゃんとF1のことを考えている5、6人のジャーナリストは被害を被るだろうが、仕方がない。その後では、僕は物事を中途半端にはしないつもりだ。やめるとしても、やめないとしても、それは僕の決心によるものだ。僕は記者会見を開くことを考えていたが、もしパリでそれを開けば、センセーショナルなものになるだろう。もし、そうしないとしたら、沈黙だ。そう、完全な……。

 <PS>レースだけに興味のある人たちのために、付け加えなければならない。オーストラリアでは、僕は思うようなドライビングができなかった。ひとつはタイヤが磨耗してしまったため(それでも僕はマンセルのようにタイヤ交換はしなかったけれど)、そしてもうひとつは、終盤ブレーキの利きが悪く、危険な状態だったためだ。(訳・今宮雅子)

(次回からはプロストの91年独占手記「マイバトル 91」を掲載します)