90年Round 10 ハンガリーGP
(90年8月15日掲載)
懸命の走りもリタイアに終わったプロスト=(C)Chunichi
懸命の走りもリタイアに終わったプロスト=(C)Chunichi
◆ Round 10 ハンガリーGP
◆90年8月10〜12日 ハンガロリンク・サーキット
 ▽PP T・ブーツェン(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 T・ブーツェン
【プロストのハンガリーGP】
 ニューエンジン「037」を初めてレースに投入。予選第1日は7番手、2日目8番手で、4列目のスタート。決勝はスタートで出遅れ、ピケ、チェザリスに前に出られてしまい10番手。8周目にチェザリスをかわし9番手へ。22周目、セナのピットインで8番手へ。34周目、アレジを抜いてやっと7番手に上がった。だが、3周後の37周目、突然タイヤがロックしてスピンによるコースアウト。名手プロストらしからぬ、リタイア。

「ニューエンジン037で勝負も…」

 ハンガリーにはグランプリの始まる前、ぎりぎりのタイミングでやって来た。でも、僕がこの国をきらいだからというわけではない。それどころか、ハンガリーの人たちは本当に親切だと思う。だけど僕は何よりもまず、猛暑を恐れていた。それにまた、ゆっくり考える時間も僕には必要だったのだ。

 というのは今回、僕たちは決断を迫られていたからだ。フェラーリは僕たちの車に、新型V12エンジンを搭載することが可能だった。そしてこのエンジンは、レースの最後まで持ちこたえるだけの信頼性があるものだった。

 金曜日の朝から、僕はすぐに車のセッティングに取り組んだ。といっても自分のフェラーリに関しては、ほとんど暗記するほどよく分かっているから、レースのために必要な空力の細かい調整をするだけだった。ところが実際は、この作業は思ったよりはるかに難しいものになった。

 ハンガロリンク・サーキットのコースの特徴の中には、とんでもない欠点が隠れていたのだ。つまり、毎年のグランプリ以外には、ここハンガロリンクではほとんどイベントがない。だからコースのアスファルトが正常なグリップ状態に戻るまで、最低でもまる一日かかってしまうのだ。その上、金曜日一日を走り終えた時点で、コース上には最低限のラインしか残っていなかった。抜くポイントはどこにもないのだ。

 この事実を警告として受け止め、僕は土曜日の朝にはレース本番用のセッティングを決めることができた。エンジンは常にニューエンジン、そしてガソリンは満タンにしてこのセッティングを入念に仕上げたのだ。あとは午後の予選をうまく決めることだ。

 金曜日の午後の予選は、冗談にもならないようなものだった。新しいゴムと、新しい構造を採用したはずのグッドイヤータイヤの中で、このコースにマッチするものを1セットも見つけることができなかったのだ。この問題に陥ってしまったのは僕だけではなかった。僕のポジションは7位、セナは8位だった。

 土曜日の午後の予選では、別の問題が発生した。1セット目のタイヤでアタックした時、ギアボックスが壊れてしまったのだ。この問題が解決するまで、僕は30分近くも待たなければならなかった。

 そして2セット目、最後のふたつのコーナーで、パトレーゼにひっかかってしまった。グリッド上、僕の前に来る2台のウィリアムズ・ルノー、2台のホンダ・マルボロ・マクラーレン、マンセル、アレジ、ナニーニが彼らの作戦を遂行することができたにもかかわらず、僕のポジションは、ひとつ後退した。

 僕は本当に怒っていた。レースセッティングの僕の車が素晴らしいとわかっていただけに、なおさら腹が立った。そして日曜日の朝のウオームアップ。僕はトップのタイムをマークし、レースセッティングでのフェラーリのポテンシャルを証明した。ベルガーには1・1秒、セナ、パトレーゼ、ブーツェンには1・3秒の差をつけたのだ。このフェラーリの力を考えると間違いなく、僕はポールポジションを得て、レースでは他の車をすべて周回遅れにすることが可能だったはずだ。でも実際にはそうではない。僕は辛抱のレースをすることになるだろう……このサーキットでは、メキシコのような奇跡が起こりそうもないことを、僕は知っていた。

 そして気がかりなことはもうひとつあった。エンジンだ。もしスターティング・グリッドで1列目か2列目に並ぶことができていたら、慎重で確実な策を取り、旧型のエンジンを使ったであろうことは間違いない。一方、もし僕が最後列からスタートしなければならなかったら、新型エンジンを選んでいたことに間違いないとも言える。

 でも、実際、予選8位というこの微妙な状況で、僕は迷わざるを得なかった。チェザーレ・フィオリオ監督と相談した上で、僕はニューエンジンにかける決心をした。

 いつものように、僕は慎重なスタートをした。危険なバトルがまわりのいたる所で繰り広げられていた。僕はピケの後ろで長い間辛抱し、アレジの後ろでも耐えた。そしてジャンを抜いたあと、僕はナニーニとピケを再び射程内に捕らえていた。思うに、僕は巧みに窮地を脱することができたのだ。そしてナニーニが優勝し得たかもしれない事実は、僕のこの考えが正しかったことを証明している。

 ところが37周目の最終コーナー、僕は気が付いた時にはコースの外にいた。こんなことが起こるなどとは、何の前兆もなかった。エンジンか、もっと可能性の高いのはギアボックスが、僕の希望を打ち砕いてしまった。車は突然、タイヤがロックしてしまい、コントロール不能な状態になり、スピンしてしまったのだ。

 このリタイアによって、僕はチャンピオンシップではセナから10ポイント離されてしまった。予選に続いて、2回目の失望が僕を襲っていた。(訳・今宮雅子)

(次回はベルギーGP編を掲載します)