93年Round 6 モナコGP編
(93年5月26日掲載)
予選では作戦が見事に的中してポールポジションを奪ったが……(C)Chunichi
予選では作戦が見事に的中してポールポジションを奪ったが……(C)Chunichi
◆ Round 6 モナコGP
◆93年5月20〜23日 モンテカルロ
 ▽PP A・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 A・セナ(マクラーレン・フォード)
【プロストのモナコGP】
 ▽予選 1分20秒557
 ▽決勝 1周遅れ 4位

10秒ペナルティーのプロストは真実を語る

 モナコGPの週末は、始まりも終わりも良かったとは言えない。そして確かな事実がふたつだけ残った。ルノーは13回も挑戦しながら、まだここで1度も勝利を得られないでいる。そしてウィリアムズ・チームは、ここでは不運に見舞われ続けている。

 木曜日、ほとんど1日中降り続けた雨で、僕はマシンを仕上げることができなかった。そして午後の予選では、0秒6速いタイムをデーモン・ヒルに記録されてしまった。その途端に、ジャーナリストの猛攻が始まった。でもデーモン自身には真実がわかっていたのだ。彼は、僕とまったく違うコースコンディションで走っていた。彼がアタックしたときには、コースの主なライン上だけは、僕が走ったときよりもずっと乾いていたのだ。事実はこんなふうに単純で明快なものだ。しかし、デーモンは突然F1の新しいスターになってしまったのだ。僕はそれにいらだっていた。

 読者のみなさんがどう思われるかわからないけど、僕はそんな人間なのだ。不当なことは好きじゃない。細かいことだと思われるかもしれないが、他の多くの事柄に加えられるひとつの細かい事柄なのだ。論争を起こすつもりはないけれど、こんなふうにくどくどと書いているのは、それがこの先で重要になってくる可能性があるからだ。モエ・エ・シャンドン(表彰式で有名なシャンパンのメーカー)の250周年を祝う夕べでもまだ、僕は多くの質問を我慢して受けなければならなかった。

 金曜日の午後一番、僕は家族に会うためにヘリコプターでサントロペに向かった。毎年、モナコGPと同じタイミングで、プロスト家は集まることになる。というのは、僕の父が毎年グランプリのころに誕生日を迎えるからだ。僕たちは彼の68回目の誕生日を祝った。彼の健康状態があまり思わしくないこともあって、僕はこの集まりにだけはどうしても出席したかった。

 金曜夜にはモナコに戻った。ジャン・アレジとイタリアンレストランで夕食をする約束をしていたからだ。その店では素晴らしいパスタを食べさせてくれる。土曜日の朝、僕は絶対にタイムを出そうという決意を固めていた。チームメートに敗れたと比較されているのが僕には気に入らなかった。そこでサスペンションの機能を研究していって、少しずつセッティングのすべての詳細を決める作業を行った。

 モナコで、アクティブサスで走るというのは、とても特別な経験だ。僕にとっても、今までに経験のなかったことだ。また一方で、僕はエンジンのテストも行っていた。バルセロナと同じように、ルノーV10はエレクトロニック・アクセレレーターを採用していたからだ。このシステムは走行距離を重ねるごとに効果が出てきている。

 40分くらいの間、すべてはうまくいっていた。ところがチームが僕をピットに呼び戻したのだ。サスペンションに異常が発生していたからだ。それも何という異常だろう! リア・サスペンションのロア・アームが壊れかかっていたのだ。前もってそれに気付いた人間はひとりもいなかった。そして同じトラブルはデーモンのマシンにも起こっていた。この状況を把握する時間がなかったデーモンは、ガードレールにクラッシュすることになってしまった。

 モナコでいいタイムを出すためには、僕たちは頻繁に縁石に乗り上げて走ることになる。恐らくそれがトラブルの原因だろう。しかしウィリアムズが今まで経験したことのないこのトラブルは、3つの点で影響を与えるものだった。まず、予選のためにマシンを仕上げていたピットには、ものすごく緊張した空気が流れた。それはまた、デーモンの頭の中に疑いを生み出すものでもあった。そして最後に、僕はそれによってポールポジション獲得のためのうまい作戦を決定することができた。特に精神的な意味においてだ。

 担当エンジニアのデビッド・ブラウンと一緒に、僕は予選のセッションが始まったらすぐにコースインすることを決めていた。確かに路面のグリップは少し低いだろう。でも少なくとも、最初からタイムアタックするのは僕ひとりしかいないはずだ。

 僕はそれを行った。そしてデーモンは僕より1秒2遅いタイムにとどまり、それ以上追ってはこなかった。彼は2列目にとどまっていた。セナはコースアウトし、シューマッハーは巧みにタイムを上げてきた。でも僕を上回るタイムを出すことは彼には不可能だった。

 ブラウンと僕はこの結果を誇らしく思っていた。僕たちはうまく作戦を遂行し、賭けに勝ったのだ。日曜日の朝、ウオームアップの終わるころ、僕は不安を感じていた。信頼性を確認するだけの十分な走行距離をテストしていないということで、エレクトロニック・アクセレレーターはレースでは使えないことになっていた。そこで、特にシフトダウンのときには、またペダル操作に頼らなくてはならなくなった。

 それにサスペンションの動きも快適とは言えなかった。僕はとても厳しいレース、ひどいレースになることさえ予測していた。結果は予測した通りになった。理由は皆さんも知っている通りだ。僕には言いたいことも書きたいことも山ほどある。フランク・ウィリアムズと僕は確信している。グランプリの“審査委員会”の頭では、僕の、いわゆるフライング・スタートが自然に、自動的に念頭に置かれていたのだ。

 実際、僕のマシンは少し前に進んだ。しかしこれはセミオートマチックのマシンで従来のクラッチを使った場合に起こる現象で、動いたのもわずか10センチほどだ。いずれにしろ、僕は不当なスタートなど全然していない。

 いくつものビデオを検証して、他のマシンも同じように動いているのを認めることができた。もし最近の30〜40戦ほどのスタートを総合すれば、1列目からスタートしたドライバーの全員が10秒ペナルティーを受けることになったはずだと言いたい。

 ウィリアムズ・ルノーが他を寄せ付けないと確信し、何としてでも、“罰する”ことが必要だと思っている人間が多いことは明らかだ……。(訳・今宮雅子)

(次回はカナダGP編を掲載します)