93年Round 11 ハンガリーGP編
(93年8月18日掲載)
トラブルの連続に見舞われたプロストだったが、ファンのためにリタイアは許せなかった(C)Chunichi
トラブルの連続に見舞われたプロストだったが、ファンのためにリタイアは許せなかった(C)Chunichi
◆ Round 11 ハンガリーGP
◆93年8月13〜15日 ハンガロリンク・サーキット
 ▽PP A・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 D・ヒル(ウィリアムズ・ルノー)
【プロストのハンガリーGP】
 ▽予選 R1分14秒631
 ▽決勝 7周遅れ 12位

「ファンを尊重しなければ、それに何が起きるか分からない」

 ドイツGPを終えた後、僕はすぐにメリベルのシャレーに飛んだ。子供たちと一緒に山の中でゆっくり休養するためだ。高原で過ごす夏はいつもの通りとても快適だった。その後、僕は海の香りの中で1週間ほど過ごした。モナコの近くのサン・ジャン・キャップ・フェラで船を借りた僕は、コルシカに船首を向けた(とは言っても実際に船を導いたのはスキッパーと船員たちだけれど……)。コルシカではダイビングとジェット・スキーを存分に楽しむことができた。

 素晴らしいバカンスを過ごした後は自分をモータースポーツの世界に引き戻さなくてはならない。今まで一度も勝ったことのないハンガロリンクのコースで優勝を飾ることを僕は考えていた。全力を尽くして10ポイントを獲得したい。そうすればタイトル争いに王手をかけることができるのだ。

 僕はシルバーストーンに向かった。かの有名なスタート練習のためだ。スタートでは今年何度かトラブルに遭遇している。僕にはどうしてもエンジンを苦しめることができないのだけれど、読者の皆さんはどう考えられるだろうか? ベルナール・デュドはルノーV10は絶対壊れない、カーボン・ディスクのクラッチは8回以上連続でスタートしても大丈夫なのだと一生懸命説明するのだけれど、僕にはどうしてもエンジンの回転をぎりぎりまで上げてスタートの瞬間に急激なクラッチ・ミートするやり方を完ぺきに受け入れることができない。それでも、シルバーストーンでは僕はそれを受け入れる決心をした。というのは、ウィリアムズ・ルノーチームは僕のために油圧系統やソフトウエアを研究し、新しいクラッチのセッティングを用意していたからだ。

 この改良を用意された僕は、自信をもってブダペストに到着した。そして予選はその自信を裏付ける結果になった。2日間の予選でマシンはコンスタントに良くなっていたし、問題は全くなかった。僕の2回のスピンはマシンにほんの少しだけオーバーステアの傾向が出ていたからだった。

 レースを前にした週末、たったひとつだけ不安だったのは、リアウイングのステイ部分に初期の亀裂が発見されたことだった。この巨大なウイングはモナコでもすでに使用していたけれど、これは理解できるトラブルだった。それでもエンジニアたちは素早くこの問題を解決した。

 クラッチに関しては、シルバーストーン・テストが正しい方向で行われていたことが証明されていた。ブダペストでは多くのインタビューに答えた。移籍の話題が聞こえてきていることを考えると、そういう時期なのだ。いくつか覚えている質問もある。ベネトン/ルノー?

 僕は政治的な話題には参加しないと答えた。3チーム目にエンジンを供給するかどうか、そしてそれが“そうしてもいい”というのではなく、“それが利益につながる”かどうか判断するのはルノーなのだ。94年のウィリアムズはプロスト/シューマッハー? もしベネトンがルノー・エンジンを手に入れるなら、これは理論的に考えられないことだろう。それから、チームの中で重要なのはそこに流れる空気だ。僕とデーモンはとてもよく理解し合っている。

 シューマッハーとは? 同様に僕たちはとても仲がいいし、僕はマイケルが大好きだし、彼の方は僕を評価してくれていると思う。セナは? 僕はこう締めくくっていた。実際のところ、僕はこういう話題は気にしていない。今年のチャンピオンシップに集中するだけで手いっぱいなのだ。ウィリアムズ・ルノーチームもまたとても平穏な雰囲気の中で仕事をしていて、パドックに流れるうわさのことなど全く気にしていない。

 土曜日の夜はとても早くベッドに入った。猛暑のせいでレースがとても厳しいものになることを予想していたからだ。9時半ごろには僕はもう熟睡していた。そんなわけで日曜日の朝、僕は元気いっぱいだった。ウオームアップでは僕たちのすべての技術的な選択が確認され、スターティング・グリッドについたときも僕は自信を持っていた。

 ところがフォーメーションラップのスタートをする瞬間に、哀れにもエンジンをストールさせてしまったのだ。クラッチに加えた小さな変更について、僕は完全に納得していたわけではなかったけれど、それが大きな結果を引き起こすことになってしまった。

 レギュレーションに従って僕はグリッドの最後尾からスタートすることになった。グリーンランプを待ちながら、僕はどれほど大きなチャンスが僕の手から逃げていったのか気付いていた。ポールポジションを獲得するために全力を尽くした。モナコと同じくらい、ここでは一番前からスタートすることが重要だからだ。ところが4分の1秒の間に、スタートさえ待たずに、その恩恵を受けるチャンス、そしてレースすら失ってしまったのだ。

 仕方ない。全力で戦うまでだ。僕は最大限のペースで追い上げることを目標に掲げた。多分、2位か3位を目指したというのが妥当なところだろう。何も考えずにアタックした。20周目、ピットのサインボードは“P4”、デーモンと2台のベネトンの後ろに僕が追いついたことを示していた。

 すべて今となって書くのは簡単なことだ。でも実際はこれはずっと複雑なことだった。全力でアタックすることに満足しながらも、一方では僕は不安を感じていた。リアウイングのバイブレーションがだんだんひどくなってきているのを感じていたからだ。そして起こるべくして、事は起こった。たとえ、トップでスタートしていても起こり得たことだ。

 リアウイングのステイの接続部分を修理するためにピットに入らなければならなかった。今では、それは製造の段階で起こっていた問題だったことがわかっている。ウイングの修理の間、一度ピットレーンの隅に追いやられ、デーモンのタイヤ交換が終わるのを待った。それからメカニックが駆け足で戻ってきて、僕のウイングの修理を始めた。
 僕がコースに戻ったのは9分43秒後だった。トップからの後れは7ラップ。それでも最後まで走り続けた。こういう場合、どれほどモチベーションが必要かは、読者の皆さんならわかってくれると思う。ゴールまで走ったのは12台。一番前がデーモンのマシン、僕のマシンは一番最後だ。どうしてリタイアしなかったのかと、不思議に思っている人もいると思う。僕の性格がそうさせなかったからだし、ファンを尊重しなければならないからだ。それに経験から、レースでは何が起こるかわからない。悪い立場に立たされたときにはそれに抵抗しなければならないことを僕は知っているからだ。

 マシンから降りて地面に足を下ろしたときには、ほほ笑むことができた。表彰台に流れる国歌が聴こえてきた。“ゴッド・セイブ・ザ・クイーン”はイギリスの国歌。僕のチームメートのデーモン・ヒル、そして僕のチーム、ウィリアムズ・ルノーをたたえる国歌なのだ。祝福の気持ちをかみしめながら、僕はそれを聴いていた。(訳・今宮雅子)

(次回はベルギーGP編を掲載します)