JSB1000開幕特集
8耐では敵なしの中須賀(右)と、全日本に専念する野左根(左)、2人を支える吉川監督(中)。ヤマハファクトリーの絆は強力だ
8耐では敵なしの中須賀(右)と、全日本に専念する野左根(左)、2人を支える吉川監督(中)。ヤマハファクトリーの絆は強力だ
 2018年全日本ロードレース選手権の最高峰クラス「JSB1000」は全8戦が予定されているが、今年は2レース大会が増えて全13レースになり、タイトル争いもさらに熾烈(しれつ)になることが予想される。激突するのは、王座奪還をもくろむヤマハと10年ぶりにワークスを復活させたホンダ。メーカーの威信をかけた覇権争いが見もの。開幕戦は4月7、8日の栃木県・ツインリンクもてぎだ。

 バイクメーカーが直接運営するチームを「ワークス」「ファクトリー」と呼ぶ。全日本JSB1000は市販マシンの戦いだが、レギュレーションの範囲の中で、メーカー系チームは、オリジナルパーツを製作してマシンのポテンシャルを上げる。また、一流のメカニック、エンジニアがライダーを支え、勝利への環境を整えていることが最大の強みだ。

 一方、メーカー直系ではないプライベートチームは、ワークスチームが開発されたパーツを「キットパーツ」として購入・装着する。刻々と進化するメーカー系マシンと互角の戦いをすることは厳しいと見られているが、その困難に挑むことで“下克上”も生まれ、数々のドラマが刻まれてきたことも事実だ。

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YAMAHA、「YZF−R1」20周年記念イヤー

今季のモデル。初代に貼られたロゴイラスト文字の「YZF」を復活させた
今季のモデル。初代に貼られたロゴイラスト文字の「YZF」を復活させた
 ヤマハワークスチームの「ヤマハファクトリーレーシング」はチームとしては今年が4年目になるが、「YZF−R1」にとってデビュー20周年の記念の年。このマシンでJSBを7度も制した王者・中須賀克行(36)と、ファクトリー2年目の野左根航汰(22)に託す。2人を率いるのは吉川和多留監督(49)で、目標はもちろん「タイトル奪回」だ。

 エースの中須賀は「ヤマハファクトリーライダーになることは憧れだった。そして今、勝利を目指して一流のスタッフと戦えることを感謝している」と胸を張る。

 3歳からポケバイに乗り始め、成長期の10歳ごろは、90〜92年のWGP500ccクラスを制したヤマハのウェイン・レイニー、全日本ロードのスーパーバイクで活躍した吉川に憧れた。「いつか、ワークスライダーに」の願いを抱きながら、プライベーターで苦労しながらはい上がってきた。

 そして2008、09年とJSB1000を連覇。12〜14年にはV3を達成するも、この時はワークス体制ではなく、ヤマハの販売店がバックアップする「YSPレーシング」での偉業達成だった。

 15年にヤマハがファクトリー復活を宣言、中須賀をエースライダーとして戦いを開始。この年、中須賀は8戦中7勝、16年も7戦中6勝と圧倒的強さで5連覇を達成、王座に君臨する。17年は5勝(全9戦)と最多勝を挙げるもノーポイントのレースが響き、ランキング6位に終わったが、鈴鹿8耐では3連覇を飾り、王者の面目を保った。「勝つことも、チャンピオンになることも当たり前になって慢心していたのだと思う。だから今年は初心に戻り、これまで以上に自分に厳しく追い込んでタイトルを奪う」と気を引き締めている。

 ホンダワークス復活については「ヤマハの活躍が、ホンダを本気にさせたのなら価値がある。“ガチ”の対決は望むところだ」と挑戦的だ。

 一方、野左根は3歳からポケバイに乗り始め、10歳で阿部典史さん(故人)が立ち上げたチームノリック入り、13年に全日本JGP2でタイトルを獲得した。16年にはヤマハの育成チームライダーに選ばれ、17年にヤマハワークスライダーとなった。憧れのライダーは、ヤマハの阿部典史さん、バレンティーノ・ロッシ。そして中須賀克行だ。

 「ファクトリーの一員になれたことは光栄で、素直にうれしかったです。近くで見る中須賀さんは、想像以上に速くて強くて学ぶところばかりです。まだまだ届きませんが、超えなければならないと思っています」

 昨年は、世界耐久選手権(EWC)にファクトリーチームの一員として出場。初戦となるルマン24時間耐久で2位表彰台に上り、タイトル争いを繰り広げてランキング3位となった。EWCを優先したため全日本ロードは欠場もあったが、念願の初優勝を含め2勝を挙げ、ランキング5位となった。

 今季はEWC続投の話もあったが、自ら全日本ロード専念を願い出て「チャンピオンを狙う」と誓う。

 2人を束ねるのが吉川監督だ。94年全日本ロードのスーパーバイク(SB)チャンピオンを獲得し、翌年にはワールドスーパーバイク選手権に参戦、帰国後、99年には2度目の全日本SBタイトルを獲得、モトGPのテストライダーとしてヤマハの屋台骨を支えてきた。06年にはチームディレクターとして全日本チームに加わり、中須賀との信頼関係を築いてきた。監督就任は15年からで、中須賀は「吉川さんの存在は大きく、僕にとっては魔法の言葉を持つ人」と語り、野左根も「何でも相談できる」と大幅な信頼を寄せている。

 「ヤマハファクトリーは、先輩ライダーから続く絆と信頼が勝利への強い意志を育てている。その伝統を伝えながら、ライダーの力を引き出す存在でありたい」と吉川監督。今季は中須賀、野左根のツートップでタイトル奪回、鈴鹿8耐は4連覇を目指す。

 ◆ヤマハファクトリーの歩み 全日本で、4ストロークマシンのヤマハファクトリーとしての活動が始動したのは1985年からで、2002年まで活動し、その後は休止。15年に復活した。

TeamHRC、10年ぶり復活

今季型マシン「CBR1000RRW」に乗って意気込む高橋(左)と宇川監督
今季型マシン「CBR1000RRW」に乗って意気込む高橋(左)と宇川監督
 ホンダが全日本では10年ぶりとなるワークス体制「チームHRC」を復活させた。トリコロールカラーの「CBR1000RRW」を新チャンピオン高橋巧(たくみ、28)が駆り、元ホンダワークスライダーの宇川徹監督(44)とともに「強いホンダ復活」を目指す。

 「ホンダ車に乗っているライダーは誰もがホンダワークスに声をかけてもらえることを目指していると思う」。2017年に初めてJSBを制した高橋巧は、ホンダワークスライダーになることを夢見てきて、ついにその願いがかなった。

 3歳からポケットバイクに乗り始め、ミニバイクやダートレースに挑戦しながら、ロードレース世界選手権(WGP)をテレビ観戦し始めた。そしてミック・ドゥーハン(ホンダ)が5年連続(94〜98年)でWGP500の世界チャンピオンを獲得するのを熱心に見て、子供心に「ホンダは最強だ」との強烈な印象を抱いたという。ここから「いつかホンダに認めてもらえるライダー、ワークスライダーになりたい」と念じながら走り続けてきた。

 だが、高橋が09年にJSBに昇格した時は、ホンダはワークス活動を休止していた。そこで2010年からサテライトチームの名門「ハルクプロ」で戦い、鈴鹿8耐で3勝(10、13、14年)を挙げ、ホンダを代表するライダーとなった。昨年念願のJSBチャンピオンを獲得したこともあって、今季復活した「チームHRC」のエースライダーに選ばれ、ゼッケン1を付けて走ることになった。

 監督はホンダワークスライダーとして活躍した宇川氏だ。高橋は幼いころ、知人からプレゼントされた宇川のグローブを今も大切に持っている。

 「願い続けたワークスチームで、ホンダを代表する宇川さんが監督という最高の環境で走れることは光栄。そして、自分に求められるものも、これまで以上になる」と気を引き締める。

 宇川監督は92年に全日本昇格と同時にホンダワークスに迎えられた逸材で、93、94年と250ccチャンピオンになり、96年からWGPの250ccにフル参戦した。02年には最高峰のモトGPクラスにステップアップし、第2戦南アフリカGPではバレンティーノ・ロッシを抑えて同クラス初優勝を飾った。また、鈴鹿8耐では最多の5勝を挙げている。06年、トップライダーからホンダの研究所の社員に転身。市販マシンの開発、若手育成などの仕事を経て監督に任命された。

 宇川氏は「自分の経験を監督として生かしたいと思う。自分を育ててくれたホンダワークスチームは、1番になることが至上命令で常にピリピリとした緊張感があった。勝つために全身全霊で挑む姿勢は受け継ぎたい」と襟を正す。高橋が勝ち取ったゼッケン1を守り、鈴鹿8耐制覇への準備を整える戦いが始まる。宇川監督はさらに、高橋の希望する海外参戦を後押ししようとしている。

 「高橋に夢をかなえてほしい。そして、このチームに入りたいと若手ライダーが切磋琢磨(せっさたくま)してくれることを期待している」

 ◆ホンダワークスの歩み ホンダはレースを主体とする株式会社ホンダ・レーシング(HRC)を1982年9月に設立。1983年より全日本ロードレース選手権にHRCワークスチームとして参戦開始し、02年まで活動。03〜06年に休止し、07、08年に復活させるが再びワークス活動を休止し、今年10年ぶりに再開させる。
ホンダワークスの今季型マシン
ホンダワークスの今季型マシン
 ★全日本ロードのポイント 全クラス1位(25ポイント)から20位(1ポイント)までポイントが与えられ、最終戦「MFJ GP」は各順位に3ポイントのボーナスがある。