激動!! 2020 全日本ロードレース選手権
日本郵便 Honda Dream TP
仲間同士で快進撃を続ける「日本郵便HondaDream TP」の手島雄介監督(中)、高橋裕紀(左)、小山知良(右)
仲間同士で快進撃を続ける「日本郵便HondaDream TP」の手島雄介監督(中)、高橋裕紀(左)、小山知良(右)
 2020年の全日本ロードレース選手権で、高橋裕紀(36)がホンダの新型「CBR1000RR─R」を駆って、新設されたST1000クラスの初代チャンピオンに輝いた。所属チームは「日本郵便 Honda Dream TP」。

 チームオーナーで監督は元ホンダワークスライダーの手島雄介(37)。チームメートは、昨年のST600チャンピオンで、今季は同クラスでランキング3位だった小山知良(37)。手島と小山は幼なじみ、小山と高橋は親友だ。幼少からバイクに親しみ、友と出会い、バイクとともに歩む人生を選んだ仲間でもある。

出会い

ST600を戦った小山
ST600を戦った小山
 −バイクとの出合いは?

 小山知良 初めて欲しがったものが、バイク屋さんに飾ってあったポケバイでした。

 手島雄介 父親がバイク好きだったことで「やるか?」って…。遊園地のおもちゃのノリで、「やる」と答えたのが最初ですね。

 高橋裕紀 3歳の時、祖父が誕生祝いにポケバイを贈ってくれましたが、乗り始めたのは7歳。


 ─ポケバイやミニバイクレースは、父親がメカニック、母親はヘルパー(チームの雑用係)と家族ぐるみ。家族や仲間の絆が強まるスポーツですね。

 手島 アウトドアスポーツであり、家族の支えがないとできないので、自然に親への感謝の気持ちが強くなります。週末は泊まりがけで出かけ、サーキットで仲間がたくさんできました。

 高橋 家族同士で仲良くなりますね。親たちも今でも仲が良い。

 小山 自分の父は週末が仕事だったので、母が支えてくれました。高速道路なんて運転したことなかったのに、練習やレースに連れて行ってくれました。メカニックは自分でやっていて、たいへんだったけど、嫌だと思ったことはなかった。


 −同世代にはどんなライダーがいましたか?

 小山 ヤマハファクトリーJSB1000の中須賀克行。

 手島 オートレースに行った岩田裕臣、全日本ライダーの岩田悟の岩田兄弟。

 高橋 ロードレース世界選手権(WGP)ホンダチームアジア監督の青山博一、オートレースに行った周平の青山兄弟。


 −そこで3人も出会った?

 小山 (手島)雄介とはチームが一緒になって、そこからの付き合い。

 手島 小山には、子供ながら才能を感じていましたね。(高橋)裕紀は、エリートライダーってイメージ。桶川塾(埼玉県桶川サーキットを拠点とした塾)で走り込んでいて速かったし、存在感が違った。

 −将来はライダーになりたいと思ったきっかけは?

 小山 WGPのワイン・ガードナーが好きで、手首を骨折しているのに参戦して活躍したり、転倒後にカウルを引きずりながらもコース復帰して追い上げるガッツある走りが子供心に衝撃的で「かっこいい〜、絶対にガードナーになる」と思ってました。今もけがしてもレースに出るというポリシーはガードナーの影響です(笑)。

 高橋 僕もガードナーが好きでした。その後は世界チャンピオンに3度もなったウェイン・レイニーに憧れて、ツナギもヘルメットもレイニーカラーで走っていました。

 手島 自分は、小山がSP忠男(ヤマハの名門チーム)に入って、そこに自分を誘ってくれたから、ライダーを続けられました。


 −手島選手は2000年の鈴鹿4時間耐久で勝ち、その後、ホンダのワークスライダーにまでなりました。小山選手は、00年全日本デビューシーズンにGP125チャンピオンに輝き、05年にはWGP参戦。高橋選手も04年全日本GP250を制し、05年にはホンダスカラシップを獲得してWGP参戦を果たします。

 小山 レースを始めた時からWGPしか見ていなかった。03年には本場が見たいとオランダGPを観戦に出掛けて衝撃を受けました。けがもあって、WGP参戦のチャンスはなかなかなく、モチベーションが下がっていましたが、もう行くしかないと思いました。

 高橋 僕も(青山)博一君が参戦を決めたこともあって、居ても立っても居られない気持ちになって、知り合いを頼って、単身バレンシアGPに出掛けました。ここを走るために努力しようと気持ちが強くなりました。

WGP

タイトル獲得を喜ぶ高橋(左)と手島監督
タイトル獲得を喜ぶ高橋(左)と手島監督
 ─高橋選手は05年から13年までWGPを戦いモトGPにも参戦した。小山選手も05年から12年までWGPやスペイン選手権で活躍します。手島選手は09年に全日本ST600チャンピオンとなり、WGPにもスポット参戦と世界への夢をかなえました。

 小山 12年のオフに帰国して、もう引退しようと思って、けがで入れた体のピンを抜く手術後、麻酔でもうろうとしていた時に雄介から電話が来て「チームを作るから走ってくれ」って、とりあえず「うん、わかった」って言っちゃったんですよ(笑)。

 手島 日本人ライダーは実力があっても、海外のチームに残ることが難しい。自分がチームを作ってチャンスをあげられるようになりたい。そのためにも実力あるライダーが必要だと思って、真っ先に頭に浮かんだのが知良でした。彼しかいないと思ったんです。

成長

 −そこからアジアロードレース選手権(ARRC)に参戦開始。タイトル争いをするチームへと成長します。高橋選手は帰国後、モリワキに所属し、全日本で14、15年とJGP2クラスでV2達成、ARRCでもチャンピオンと力を示しました。今季からチームメートになった小山選手とは、家族ぐるみで旅行に出かけるくらい仲がいい。

 高橋 現役ライダーで友達と言えるのは小山選手くらい。ライダーとしても尊敬する部分が多く、刺激を受ける相手でもあります。でも、チームメートになったのは、仲が良いからではなく、僕から手島監督に走らせてほしいとお願いしたんです。

 手島 裕紀の実力は知っているので、声を掛けてくれたことはうれしかった。

 高橋 骨を埋めるつもりでモリワキさんのところに所属していましたが、レース活動が休止となり居場所を失いました。誰か他のライダーを押し出すのは嫌で、考えた末に、手島監督に相談したんです。


 −今季は高橋選手が新設されたST1000に参戦し、見事初代チャンピオンになりました。小山選手はST600でV2を目指しましたが、全4戦の戦いで、トラブルでポイントを失ったことが影響し、ランキング3位でしたが、2人とも、速さが増しているように思います。全日本のレベルを確実に引き上げている。

 小山 維持するのもたいへんです。さらに、その上を目指して行くのは、走る以上、当然だけど、かなりきついですよ(笑)。

 手島 知良はトライアル選手権に参戦してスキルアップしているし、自転車のハードなトレーニングもこなしている。裕紀は帰国してから毎朝のバイクトレーニングを欠かさない。その姿勢には頭が下がります。

感謝

 −そのモチベーションは?

 小山 昔は自分のために走っていたけど、今は、応援してくれる人のためという気持ちが強い。日本郵便さんの力強い応援もあり、それに応えたいと思いますね。最終戦の鈴鹿に、先輩家族が泊まりがけで応援に来てくれました。2歳の男の子がいるんですが、僕みたいなライダーになりたいと言ってくれたんです。僕は1、2歳くらいの時、大病して生死をさまよったようで、歩き始めたのは3歳くらい。バイクと出合って、速くなりたい、強くなりたいって目標ができたことで病気を克服できたと思う。だから、自分が夢を与えられたと思えたのは本当にうれしかった。

 高橋 手島監督がチームを作って、小山選手と頑張って活動しているのをずっと見ていました。所属して、本当に良いチームだと実感しています。このチームが10年後、20年後に、ハルクプロやTSR、モリワキのようなホンダの名門チームになる手伝いがしたい。チームがなければライダーは走れないですから、いいチームの存在が、レースを活性化するためには絶対に大事です。関わる人が真剣に取り組んでいるモータースポーツの魅力を伝えるために、力を尽くしたい。それに、まだまだライダーとして成長して行けると思うので、世界チャンピオンになる夢も捨ててはいないですから。

 手島 今年はオートポリスの後に2人と九州のホンダ工場を訪ねて、CBRを制作しているスタッフの方々と話をさせてもらいました。作り手の思いを聞いて戦えたことが、気持ちを強くしましたし、それゆえのタイトル獲得だったと思います。また、ホンダのスーパーカブで手紙を運ぶ日本郵便さんの応援を頂いています。毎戦300人近い人がサーキットに足を運んで応援してくれています。スタンド裏では、人の思いの大切さを伝えることができる手紙の存在を示しながら、ポケバイの試乗会を実施しています。試乗会は受け付け開始と同時にすぐに予約で埋まる人気です。僕の最大の夢は、世界に誇るバイクメーカーのある日本で、モータースポーツが国技になることです。そのためにも、モータースポーツの魅力を広めるための活動を続けたいと思っています。絶対に諦めない覚悟でいます。


 −来季の発表はまだですが、最終戦鈴鹿後のテストでは小山選手が新型CBR600RRをテストしていました。高橋選手のV2にも期待がかかります。「日本郵便Honda Dream TP」への期待は大きくなりますね。

 小山 鈴鹿テストは雨で路面コンディションが良くなかったので、マシンの確認ができたという程度ですが、それでも、今までにはないポテンシャルを感じました。電気制御が入り、ウイングもあって、これまでとは違うことは、すぐに分かりました。実戦が楽しみです。

 高橋 今年の全日本のリザルトを見てもらうと、ST1000ランキング1位から3位までがホンダライダーが並んでいます。新型バイクのポテンシャルの高さが分かると思います。来季は世界耐久選手権にも参戦させて頂くことになりました。このCBR1000RR─Rの力を示せるようなレースがしたいと思っています。

 手島 来季も力を尽くして、モータースポーツの楽しさをひとりでも多くの人に伝えたい。今年は新型コロナウイルスの影響で、4戦という短いシーズンでしたが、ご声援に感謝しています。ありがとうございました。



 ▼手島雄介(てしま・ゆうすけ)1983(昭和58)年1月26日生まれ、37歳。さいたま市出身。9歳でポケバイを始める。2000年、17歳で鈴鹿4時間耐久優勝。02年全日本ロードデビュー。06年JSB1000参戦。07年ホンダワークスに迎えられる。鈴鹿8耐ではTSRから伊藤真一と組んで3位表彰台を獲得。09年ワークス撤退となり、ST600にプライベート参戦して初の栄冠に輝く。10年WGPモト2にスポット参戦。12年の鈴鹿8耐は山口辰也、高橋裕紀と組んで2位。13年チームを立ち上げ、アジアロードレース選手権(ARRC)参戦開始。14年から全日本ロードにも参戦。19年の全日本ST600は小山を擁し、今季は高橋裕紀でST1000チャンピオンと2年連続の王座を誇る。

 ▼小山知良(こやま・ともよし)1983(昭和58)年3月19日生まれ、37歳。相模原市出身。3歳からポケバイを始める。2000年、17歳で全日本デビューし、同年史上最年少(当時)でGP125チャンピオン。05年WGP125cc参戦開始。07年KTMワークスに移籍し、ランキング3位。第7戦カタルーニャGPで初優勝。09年には中国メーカーのロンシンを駆る。10年はアプリリア。11年スペイン選手権モト2ランキング3位、全日本JGP2ランキング8位。12年スペイン選手権モト2ランキング9位、シーズン終盤にWGPモト2参戦。13、14年は全日本とARRC参戦。15、16年はARRCのSS600で、2年連続ランキング2位。18年全日本ST600ランキング2位。19年ST600チャンピオン獲得。今季は同ランキング3位。

 ▼高橋裕紀(たかはし・ゆうき)1984(昭和59)年7月12日生まれ、36歳。埼玉県吉川市出身。7歳からポケバイを始める。2000年全日本デビュー。WGPパシフィックGPでは250ccクラスで3位獲得。03年WGP日本GP3位。04年全日本GP250でチャンピオン。05年WGP250cc参戦。06年フランス、ドイツGPで優勝。ランキング6位。08年ランキング5位。09年はモトGP参戦。10年モト2に参戦してカタルーニャGP優勝、ランキング12位。12年モト2参戦、鈴鹿8耐2位。13年モト2参戦。14年〜15年全日本JGP2を連覇。15年ARRCのSS600チャンピオン。16年同ランキング4位。全日本JSB1000ランキング14位、17年はランク9位。18年はランク5位。19年はスーパーバイク世界選手権にスポット参戦。全日本JSB1000ランキング20位。今季はST1000チャンピオン獲得。