マシン止め消火活動、命の恩人が…
太田さんの大事故を伝える98年5月4日付の東京中日スポーツ1面
太田さんの大事故を伝える98年5月4日付の東京中日スポーツ1面
 「何で先に逝っちゃうのだろう。まだショックから立ち直れません」と語るのは、ドライバーの太田哲也さん(54)。今から16年前。1998年5月3日に行われた全日本GT選手権第2戦の決勝(富士)で多重クラッシュに巻き込まれ、全身やけどの重傷を負った。その時、炎に包まれる太田さんの脇で自らのマシンを止め、真っ先に消火活動をしたのが山路慎一さんだった。

 「彼がやってくれなければ、間違いなく僕はいないと思います。その前の鈴鹿戦で僕がはじき出して彼はクラッシュしている。僕をうらんでいてもおかしくないし、あの状況ですぐに気付いて止まって救助するというのはすごいこと。後で知りましたが、彼はサーキットでも一般道でも、他人をリスペクトして守ってあげなくてはならないという意識の持ち主でした。僕にとって命の恩人というより、そういう人を亡くしたことが悲しい」と、山路さんの死を悼んでいた。(明村馨)

市販車のチューニングカービデオの世界でも有名人

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 市販車のチューニングカービデオに出演していた山路さんは、その世界では有名人だった。告別式で弔辞を読み上げた制作会社サンプロスの齋田功副社長は「竹やりさん」というビデオでの愛称を心を込めて使った。「竹やりさん、病のふちから立ち上がると思っていました。メーカーと契約するようなプロドライバーでしたが、私たちと同じ匂いを感じました。学生時代のアルバムを見せていただくと、リーゼントに長ラン(丈が長い学生服)、車高が落ちているクルマには鉄パイプ2本が…。見ていた私たちが小っ恥ずかしくなるアルバムなのに、うれしそうに見せてくれましたね」。やんちゃだった少年時代の山路さんだが、そのころから曲がったことが大嫌いだったという。