ヤマハファクトリーレーシングチームの中須賀克行(39)が、全日本ロードレース選手権の最高峰JSB1000クラスで10回目のライダーズチャンピオンに挑む。昨年こそチームメートだった野左根航汰(25)にタイトルを譲ったが、今年はその野左根が世界に羽ばたいて、中須賀の1台体制。昨年のような出遅れさえなければ勝機は十分だ。

転倒をバネに進化

 中須賀が全日本をけん引する存在であることは周知の事実。2005年にJSB1000に参戦を開始すると、08年には初のチャンピオンに輝き、翌09年にV2達成。10年は3連覇を狙うが、勝ちにこだわって転倒し、そのチャンスをフイにする。この時の経験は中須賀の中に深い後悔として残り、自身を戒めることで、より勝負強いライダーに進化した。12年に3度目の王座に輝くと、そこから5年連続でタイトル獲得。

 17年はレギュレーションの変更がライディングに微妙な誤差を生んで序盤戦は転倒続き。その後、修正して最多の5勝を挙げるもタイトルは高橋巧(ホンダ)がさらっていった。だが18年にはすぐに王座に返り咲き。19年にはホンダワークスが復活し、高橋巧が絶好調でシーズンの流れを握るが、中須賀が奇跡の逆転劇で通算9度目のチャンピオンに輝いた。それまで全日本の最高峰クラスの最多タイトルは伊藤真一の4回だったから、9回のタイトルというのがいかにすごい記録であるかが分かる。

 そして昨年は、「10回目のタイトル獲得ができるという機会は、そうそうやって来ることはないから…。逃したくない」と大記録を懸けてシーズンを迎えた。だが新型コロナウイルスの影響から全4戦8レースという短期決戦。中須賀は開幕戦で転倒して右肩を痛め、いきなりタイトルの可能性を逃してしまう。

 一方、後輩の野左根が快進撃を見せ、全勝を目指す。中須賀は最終戦レース1で一矢報いるが、ノーポイントレースが響いてランキング7位で終えた。

 中須賀を支える吉川和多留監督(52)は、全日本スーパーバイククラスが4メーカー激突の時代に2度(94、99年)もチャンピオンになり、WSBに参戦したキャリアを持つ。その後、アドバイザーから監督となった吉川氏は、中須賀が現状に満足せず進化し続ける姿を見守ってきた。

 「去年も普通に走っていれば10回目のチャンピオンになっていたと思う。チームとして野左根の成長も重要だから、中須賀にも先輩としてそれを担ってもらっていた部分がある。だが、今年はチームの力をすべて中須賀に注ぐことができる。取り逃がした10回目のタイトルを取ってもらう」と期待を込める。

 しかし、中須賀の前には強敵が立ちはだかる。アステモ・ホンダドリームSIレーシングの清成龍一だ。

負ける気はない!

 「清成選手は海外で鍛えられた強いライダーで、中須賀同様、常に攻めているという印象、セオリー通りの走りをしないし、見ていて面白い。不思議な魅力がある」と吉川監督は警戒する。中須賀も「清成選手は手ごわい。どんな状況でも結果を出してくる。粘り強く、ライバルとしては嫌なライダーだけど、競えることでお互いを高め合える。全日本にいてくれて良かった」とまで称賛。だがもちろん、負ける気はない。

 中須賀の強い気持ちを支えるのが、吉川監督を筆頭とするチームスタッフだ。付き合いは15年以上に及び、お互いがなくてはならない存在だ。

 「言わなくても願っている環境をつくってくれている。任した、任されたという関係が自然にでき上がっている。ライダーとしてこれ以上幸せな環境はないと思う。だから、思いっきり攻めて行くことができる。常に一番でなければ気が済まない自分を理解して支えてくれている。10回目のタイトルは、これまでに比べるものがないほどの重みを感じている」

 マシンもタイヤもライバルも時代の流れの中で変化して行く。そこに適応して、自分を高めてきたからこそ9回もチャンピオンに輝いた。10回目のタイトルに挑めることを誇りに、中須賀はグリッドにつく。
 ▼中須賀克行(なかすが・かつゆき)1981(昭和56)年8月9日生まれ、39歳。福岡県出身。1999年全日本に昇格し、GP250参戦。2005年からJSB1000。06年ヤマハファクトリーに入り、19年までにチャンピオン9回。昨年はけがもあってランキング7位に後退した。モトGPの開発テストライダーとしても活躍。代役参戦した12年最終戦バレンシアGPで2位表彰台の快挙。鈴鹿8耐でも歴代2位タイの4勝を挙げている。