中須賀、自身の60勝と10度目のチャンプ決める
ヤマハの60周年記念カラーにペイントされたYZF−R1と中須賀
ヤマハの60周年記念カラーにペイントされたYZF−R1と中須賀
 全日本ロードレース選手権第5戦(17、18日決勝。鈴鹿)に、「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」から最高峰JSB1000クラスに参戦中の中須賀克行(39)が、赤白のヤマハ60周年記念カラーの「YZF─R1」で挑むことになった。ともに前人未到となるJSB60勝達成と、10度目のタイトル決定の可能性もあるだけに、“絶対王者”がいつにも増して気合を入れている。
3月WGP公式テストで話題 伝統の赤白「TZF-R1」初披露
60周年カラーのモトGPマシン「YZR−M1」にまたがるクラッチローとヤマハのワークスチームのスタッフ
60周年カラーのモトGPマシン「YZR−M1」にまたがるクラッチローとヤマハのワークスチームのスタッフ
 ヤマハは1961年にロードレース世界選手権(WGP)に参戦を開始し、今年で60周年を迎えた。これを祝ってモトGPマシン「YZR─M1」ではすでに記念のカラーリングを3月の公式テストでお披露目。テストライダーのカル・クラッチローが走行して話題になったが、この記念カラーリングが全日本にもお目見えすることになった。中須賀の駆る「YZF─R1」だ。1980年の500ccのファクトリーマシン「YZR500(0W48)」をモチーフに、64年から使用された白地に赤のラインを入れた伝統のカラーリングが鈴鹿戦に投入される。

 「記念カラーでの参戦は、WGP参戦開始から60年、ライダーを含めた先人たちのレースにかける情熱とチャレンジスピリットに敬意を表するとともに、良い時も悪い時も常に背中を押してくれたファンの皆さまへの感謝の気持ちを表しています。さらにヤマハ発動機として原点に立ち戻り、これからもチャレンジを続けるという強い決意が込められたもの」とヤマハは意義を強調する。
 そのメッセンジャーになる中須賀は責任の重さを実感。「これまでさまざまな節目で、ヤマハ伝統のカラーリングを駆る栄誉を与えてもらった。今回も、この赤白のカラーで参戦できることがとても誇らしい。誰もが与えられる機会ではないので身が引き締まる思い」と武者震いだ。

 小学校低学年のころポケバイに乗り始めた。きっかけは、1990年初頭のWGP500ccクラスでのウェイン・レイニー(ヤマハ)とケビン・シュワンツ(スズキ)の激闘をテレビで見たことだった。そして本格的に2輪レースに足を踏み入れ、プライベートライダーとして奮闘し、速さを示すことでチャンスを引き寄せた。2005年には「SP忠男レーシング」からJSB1000に参戦を開始し、06年にはヤマハのトップチーム「YSP&PRESTOレーシング」のエースライダーに抜てきされる。07年には早くも第4戦オートポリスで初優勝。この勝利は特別なもので、「これまでのレースで最もうれしかったのはこの初優勝。あの達成感、感動の大きさは今も心に残っている」と振り返る。

 08年には初のチャンピオンを獲得し、翌09年にはV2達成。ヤマハのモトGPマシンの開発テストにも参加して、バレンティーノ・ロッシ、ホルヘ・ロレンソらのタイトル獲得に貢献した。自身もWGPモトGPクラスにスポット参戦し、12年には代役出場したバレンシアGPで2位表彰台に立つ快挙を達成した。

 そして全日本では12〜16年までの5連覇などタイトルを積み重ね、18、19年で通算9度目のチャンピオン獲得。昨年こそチームメートの野左根航汰に王座を譲ったが、その野左根が世界に旅立った今年は第一人者の座に返り咲き。これまで5レース全勝で、今回の鈴鹿2レースを勝てば7連勝になる。同時にJSB通算60勝を達成する計算になる。

 また、現在ランキング2位の清成龍一(ホンダ)とは53・5ポイント差。この差を75ポイントに広げることができれば、10度目のJSB王座決定にもなる。通算勝利数、獲得タイトル数ともに前人未到の大記録。それがヤマハ60周年記念カラーで達成されれば、これに勝る慶事はないだろう。

 ただ中須賀本人は「60周年を飾る勝利になればうれしいし、それを求められていることも励みにしようとは思うが、記録は後でついてくるもので、自分から記録を求めているわけではない。勝ちたいという思いを優先させて最善を尽くす」と、あくまでも攻めの姿勢を貫く構えだ。

 無心に勝利を求める気持ちが栄光を生み、振り返れば大記録が残った。この大会で、今も心に残るという初優勝を超える思い出を作ることができるか注目だ。
ヤマハのWGPヒストリー
79年のロバーツ。いつのころからか「キングケニー」と呼ばれるようになった
79年のロバーツ。いつのころからか「キングケニー」と呼ばれるようになった
 ヤマハ発動機は1955年、日本楽器製造(現ヤマハ)の2輪部門が分離・独立するかたちで創設された。そして同年、当時のビッグイベントだった第3回富士登山レースに「YA─1」に初挑戦して初優勝。第1回浅間高原レース、第2回浅間火山レースなどでも勝利を重ね、市場の信頼性を獲得し、国内での存在感を高めていった。

 初の国際レースは58年のカタリナGP(米国)で、伊藤史朗が6位を獲得し、海外マーケットの可能性と進出の足掛かりとなるレースの重要性を確認する。同時に、モータースポーツ文化の中で得られる感動や達成感を味わったヤマハはWGPへの参戦を決断。59年、世界最高峰のWGPマシンの開発チームを組織する。

 61年、WGPに初参戦。63年には「RD56」を駆る伊藤史朗がベルギーGPの250ccクラスで初優勝した。翌64年にはRD56に乗るフィル・リード(英国)が250ccクラスで、ヤマハにとって初のWGPチャンピオンを獲得する。67年には「RA31」を駆るビル・アイビー(英国)が初の125ccチャンピオンに輝いた。そして75年には「YZR500」でジャコモ・アゴスチーニ(イタリア)が当時最高峰の500ccクラスチャンピオンを獲得した。同年には、同じYZR500を駆る金谷秀夫が日本選手として初となる500cc優勝を達成している。
90〜92年に500CCを3連覇したレイニー
90〜92年に500CCを3連覇したレイニー
 78〜80年までケニー・ロバーツ(米国)が500ccを3連覇。これに続きエディ・ローソン(同)が同じYZR500で84、86、88年にチャンピオンを獲得。90〜92年には、ウェイン・レイニー(同)が3連覇とWGPシーンをけん引した。80年代中盤には平忠彦がWGPに参戦し、90年代には阿部典史が500ccで活躍。250ccでは93年に原田哲也がチャンピオンを獲得し、中野真矢も存在感を見せた。

 モトGP時代に突入すると「YZR─M1」で参戦。2004年にバレンティーノ・ロッシ(イタリア)がヤマハにとってモトGP初のタイトルを獲得して以降、計4度の王座獲得。08年に加入したホルヘ・ロレンソ(スペイン)も3度のチャンピオンを獲得した。

 今季第9戦を終えた時点でヤマハは通算515勝(モトGP=120、500cc=120、350cc=63、250cc=165、125cc=47勝)を挙げている。

 モトGPでは、今季ファクトリーチームに昇格したファビオ・クアルタラロ(フランス)がランキング首位で前半戦を折り返し、自身初のタイトルとともに、60周年記念となるヤマハの6年ぶり王座奪還に向けて爆走中だ。