小室旭
駆け抜けた21年
レーシングスーツを脱いで新たな旅立ちをアピールする小室=筑波サーキットで
レーシングスーツを脱いで新たな旅立ちをアピールする小室=筑波サーキットで
 全日本ロードレース選手権を21年戦った小室旭(あきら、44)が、今季限りでライダーを引退した。現役最後のレースでは、わずか0・008秒差でほぼ手中にしていた初タイトルを逃す非運。だが本人は、落胆する周囲の仲間に感謝の言葉を送ってレーシングスーツを脱いだ。
異色のチーム
レーシングチーム立ち上げを支えたメンバーたち。(左から)サニーモトレーシングの鎭波晃監督、比良愉弥子代表、小室、山崎武相談役
レーシングチーム立ち上げを支えたメンバーたち。(左から)サニーモトレーシングの鎭波晃監督、比良愉弥子代表、小室、山崎武相談役
 2021年全日本ロードレース選手権の最終戦オートポリス。レースウィークは不順な天候だったが、決勝日(9月19日)は晴れてドライコンディションに。
 JGP3クラスのランキングトップは小室だった。
 昨年、チーム全員がスポンサーという異色のチーム「サニーモトプランニング」を結成してタイトル争いを繰り広げ、最終戦の攻防に敗れてランキング2位になった。それがレース人生最後のシーズンになるはずだった。

 だが、メンバーから「もう一度」と背中を押されて再度、挑戦を決めた。今年が正真正銘の最後の戦い。第3戦から3連勝を飾り、ランキングトップをひた走った。誰もが小室の悲願のタイトル獲得を信じた。

 最終戦で3位以上に入ればチャンピオン。しかし、4、5台のバトルから、細谷翼と一騎打ちの3番手争いとなり、最終ラップには4番手に浮上も、最終コーナーの攻防から2台が並んでコンロトロールラインを通過、細谷との差は、0・008秒とまばたきにも及ばない差で小室は4位。終盤に3連勝を飾った尾野弘樹と同点の143ポイントも、優勝回数が1つ少ないためタイトル獲得はならなかった。小室のチャンピオンを願っていた人々は、タイムモニターの数字をにらみつけるように見つめ、受け入れがたい現実に呆然とした。

 しかし、小室は「チェッカーの瞬間、思い残すことなくレースから引退することを受け入れることができた」と、さまざまな思いをのみ込むように語った。

 レースに真摯(しんし)に向き合い、常に全力で挑む姿が人々を引き付け、レースができない状況から何度もよみがえった。タイトル獲得の資格ありと誰もが信じたからだが、小室は「ずっと2位や3位では満たされない自分がいた」。

 2019年に自身が走る体制が整わず、JGP3を戦う村瀬健琉のアドバイザーになった。最初は自分の理想を押し付けるだけだったが、比良愉弥子との出会いをきっかけに選択理論を学び、自分が変わることで相手が変わることを知る。小室が変わったことで、村瀬にも変化が出て、百戦錬磨の小室のノウハウを吸収して、ランキング3位を経て翌20年にチャンピオンとなった。

 「常に勝つことだけを考えて張り詰めた環境でレースをしてきたが、19年に相手の立場で考える大事さを学んだ。村瀬がチャンピオンになり、こんなふうに、お互いを尊重することができる戦いができたらいいな」と考えるようになる。

 レース人生最後のシーズンを、自分の思い描くチームで戦いたいという小室の思いを受け止めた比良、鎭波、山崎が中心となって人々が集まり、素人集団ではあるが、小室の思いを理解してくれるチームが結成された。1年限りと考えていたが、その戦いは2年目の今年も続いた。そして、最後の最後で勝利の女神は小室にほほ笑むことなく無冠でシーズンを終えた。

 「チャンピオンになって支えてくれた人に感謝を伝えたかったけど、それができなかったことを申し訳なく思っている。その思いを言葉にするのは難しい。でも今、自分の中にあるのは『感謝』です。それしかない。懸命に自分を支えてくれる人に囲まれて、レース人生の最後を過ごすことができました。ありのままの自分で戦えたことに、結果うんぬんではない満たされた気持ちでいます。求めていたのは、チャンピオンになることではなく、やりきった、全力を尽くしたと納得することだったのではないかと思います。そんな気持ちにさせてくれたチームメンバー、スポンサー、支えてくれた人たちへの感謝しかない」

 小室を支えた比良は、「一番は小室が思い描いた、やりたかったレースをしてほしいという思いだけでした。レースという未知の世界を体験して、小室選手の真摯な戦いをチームスタッフとして見る時間を持てたことはかけがえのないことでした」と語った。これを受けて小室は「思いの限り挑み、後悔のないライダー人生を過ごせた」と言い切った。彼らにとって、小室はNO・1のライダーであることは、これまでも、これからも変らない。

 小室は引退を決め、レーシングスーツを脱いで、前を向いて歩み出している。

 「野球やサッカーを気軽に始めることができるのと同じように、子供たちにバイクを体験してもらう環境を整えて、スポーツとして選択してもらえるところに持って行きたい。子供だけでなくベテランライダーにも機会が与えられたらいいなと考えている。また、バイクに乗る技術の認定制度のようなものをつくりたいという構想もある。バイク業界を盛り上げたい。それが、自分を育ててくれた業界への恩返しだと思う。今、こうして、レースから離れたことで、そこに専念できるので、全力で取り組みたい」

 伝えたいのは「絆」だと言う。この2年間の活動で感じた絆、それを家族、親子という身近なところから、バイクを通じて伝えたいという。だから「自分のバイク人生は、まだまだ続くし、これから」と語った。その表情はチーム名に入れたサニーそのもので明るいものだった。 (敬称略)
「なぜ走るのか」
第5戦鈴鹿の走り
第5戦鈴鹿の走り
 愚問かもしれない。楽しいからに決まっている。
しかし、その一言だけでは表し切れない、もっと深い経験がバイクには確かにある。

 それは何か。

 バイクに乗って速く走ろうとする時、あらゆる現実を豊かに感じることができる。

 例えば、タイヤのグリップ感。装着する前に手で触ったときより明らかにゴムの粒子の
大きさと密度とその動きを感じ取ることができる。

 アクセルの開け方やブレーキレバーの操作も滑らかになる。

 神経が研ぎ澄まされ、感じる力が増幅されているのだ。

 ツーリングで見る夕日は、普段よりも赤からオレンジへの階調が豊かに見える。

 バイクの魅力は感じる力、つまり、感性を豊かにしてくれることだ。

 普段の生活を振り返れば、どうしたら利益が出るか、どうしたら手間を省けるか、どうしたら得ができるか。

 資本主義の利己的な価値観に押しつぶされてないか?

 そうなってしまっていたら感性は確実に死んでいる。

 現実に生きて行くには感性を殺した方が、都合が良い。「いや、それが本当に生きていると言えるだろうか」

 その問いにバイクは答えてくれる、いや、答えまでは教えてくれないけれども、答えは存在していると示唆してくれるのが、今、われわれが愛してやまないバイクなのである。

 答えは、まだ、先にある。

 もう一度走ろう。

 小室旭
実家は「笠山だんご」
今季第4戦筑波戦では見事に優勝を果たした小室(中)
今季第4戦筑波戦では見事に優勝を果たした小室(中)
 小室旭は1977(昭和52)年1月23日、埼玉県比企郡に生まれた。実家はだんご店の「笠山だんご」。男三兄弟の末っ子で、兄がバイクに乗っていて興味を持ったという。16歳で2輪の中型免許を取ると、ガソリンスタンドでバイトをしてホンダCB400 FOURを購入。18歳(95年)の時に初めてサーキット(筑波)を走って楽しさを知り、翌96年に筑波選手権のSP250クラスに参戦、その後GP125に転向し、99年まで4年間戦い、99年に1勝を挙げるが、「結構下積みが長かった」と振り返る。しかし、2000年のイーストエリア選手権でランキング2位に入ると、全国大会の鈴鹿NGK杯で優勝。これを弾みに、01年から全日本ロードレース選手権に参戦する。

 以来21年間、全日本を戦って、通算では10勝を挙げた。最後のレースを0.008秒差で競り負けて悲願のチャンピオンを逃したように、ランキング2位が6回もある“無冠の帝王”。その理由を問えば、「もともと競り合いが好きじゃない。レースを続けてきたのは、バイクが好きで、うまくなりたいと思っていたから」という。優しすぎる性格はバトルには向かないが、ライディングテクニックの求道者として小室はサーキットを走り続けてきた。

 レースでのターニングポイントは、JGP3クラスを戦った17年の5月に行われた第3戦SUGOでの優勝。「それまで全日本の125、JGP3では勝てなかったので、優勝したのが信じられなかった。これが自信になった」。くしくも、この年の1月、実家の笠山だんごを支えてきた母・京子さんがくも膜下出血のため66歳の若さでこの世を去ったこともあって、思い出深い優勝になった。

 レースを続けるための資金面は「めちゃくちゃ大変だった」。高校を卒業した後はガソリンスタンドの正社員を経て、アライヘルメットのバイト、筑波サーキットのインストラクターなどいろいろな仕事をやってきた。昨年、株式会社「サニーモトプランニング」を立ち上げて同名のチームでレースに参戦した。バイクはホンダ一筋だったが、この年からKTMに変えた。

 同じ年の妻・恵さん(44)はチームのヘルパーとしてレースに関わり、20歳と18歳の2人の娘もグリッドガールとしてパラソルを持つこともある。恵さんは、妻を亡くしたあと一人でだんごを造って店を切り盛りする父・博さん(72)を手伝うため、週末には笠山だんごに通っているという。「これだけ長くやってこれたのも周りの支え、家族の協力があったからこそ」としみじみ。

 レースから引退した来年からは、サニーモトプランニングの経営に専念する。イベントの企画運営に関わり、やはりレースから離れられない。

 “だんご三兄弟”の末っ子は、串の芯までバイクの魅力にどっぷり漬かっている。
第7戦オートポリスの走り。わずかの差で大魚を逃した
第7戦オートポリスの走り。わずかの差で大魚を逃した
 ◆Sunny moto Racing
 代表=比良愉弥子
 監督=鎭波晃
 マネジャー=大木悟史
 チーフメカニック=村田哲也
 サブメカニック=石原健児
 広報=得田将志
 ヘルパー=小室恵、田邉幸恵
 アドバイザー=日向正篤
 ネゴシエーター=小高震
僅差でタイトルを逃した小室を囲んでチームが集合=オートポリスで
僅差でタイトルを逃した小室を囲んでチームが集合=オートポリスで