レジェンド加賀山とタッグで全日本へ新風吹き込む

全日本ロードレース選手権の最高峰クラス、JSB1000に参戦する「YOSHIMURA SUZUKI RIDEWIN」は15日、昨年までホンダのエース級ライダーとして活躍した亀井雄大(26)を起用することを明らかにした。ホンダからヨシムラへの電撃移籍。新婚の亀井が勤務していた「本田技研工業株式会社 鈴鹿製作所」を辞めて背水の陣で勝負に出ることは大きな話題になるだろう。その思いを受け止める加賀山就臣チームマネジャー(48)は「亀井をトップライダーに押し上げたい」と意気込んでいる。

昨年、加賀山チームマネジャー(TM)が名門ヨシムラとコラボして立ち上げた「YOSHIMURA SUZUKI RIDEWIN」は、渡辺一樹を擁してJSB1000ランキング2位と健闘した。今年はその渡辺に代わって亀井を抜てき。どんな経緯があったのだろうか。
スズキは昨年限りで、2輪の最高峰、ロードレース世界選手権(WGP)モトGPクラスの参戦を終了した。この余波で、加賀山TMのチームも存続が危ぶまれていたが、世界耐久選手権(EWC)を戦う「YOSHIMURA SERT Motul」のサポートを継続することを決定。同様に加賀山TMのチームも引き続き活動できることになった。
そして昨年末、ヨシムラは開発ライダーを務め、長年の功労者だった渡辺との契約終了を発表。渡辺自身も会員制交流サイト(SNS)でヨシムラ離脱を発信。同時に全日本の加賀山チームからも離れることになった。そして亀井の移籍が発表された。
亀井について加賀山TMは「2年くらい前から気になっていた。昨年、隣のピットになり、彼のレースの取り組みを見る機会が多くなり、より興味が湧いた」と“なれそめ”を語った。
加賀山TMは、スズキの契約ライダーとして英国スーパーバイク選手権(BSB)、スーパーバイク世界選手権(WSB)に参戦と海外で活躍した名ライダーだが、開発ライダーとしても評価が高く、洞察力の深さ、セッティング能力の高さは誰もが認めるところだ。
その加賀山が「亀井のやっていることは80年代、90年代のライダーがやっていたことに近い。マシンと向き合い、レギュレーションの範囲の中でチェーン、マフラー、スイングアームを加工したり替えたりしながら、どうやってその能力を引き出せるか、性能を上げられるのか試行錯誤していた。その姿に惚れた。自分が助けることができたら、もっと速くなる、もっとすごいライダーになれると思った」と絶賛する。
亀井は社員として鈴鹿製作所に勤務しながら、社内チーム「Honda Suzuka Racing Team」からJSB1000に出場。仕事の後にクラブ員たちとレースの準備をして全日本を戦ってきた。頼りにしていたメカニックが異動で変わったり、残業で来られなかったりすることもあった。少数精鋭チームで戦いながらも先輩や仲間たちと試行錯誤しながらマシンを仕上げてきた。限られた予算、時間の中でできることは自分が学ぶことだった。
マニュアル本を読み、セッティングに関する本を読みあさり、ヒントを見つけたら、ミニバイクレースで試す。その努力は、徐々にレース結果に表れた。
昨年の第3戦オートポリスの予選では、王者・中須賀克行(ヤマハ)を上回ってダブルポールポジション(PP)獲得。続くSUGO戦でもレース2でPPをゲット。決勝では13レースで3度の3位表彰台と存在感を示し、最終戦では中須賀に肉薄してパッシングを見せ(最終順位は3位)、シリーズランキング5位に浮上した。
加賀山TMと亀井の共通点の「学ぶ姿勢」が、2人を接近させた。だが加賀山TMは最初、「亀井はホンダの会社員なので、安定した生活を捨て、スズキで一緒にやろうと声を掛けることをちゅうちょした」と言う。それでも諦めきれずにコンタクトを取った。
亀井は迷った。だが、「自分にとれば雲の上の存在の加賀山さんからの誘いは光栄でした。気持ち的には、飛びつきたかったが、昨年の夏に結婚したこともあり、自分の考えだけではダメだと時間をもらいました。でも、自分がこの誘いを断ったら、誰かがこのシートを得る。そう思ったら、絶対に後悔すると、居ても立っても居られない気持ちになった。レースが諦められなかったから、社員ライダーになった。本当はライダーとして全ての時間を使って勝負がしたいという気持ちがずっとあった。その思いを家族は分かってくれた」と承諾の連絡を入れた。
亀井は会社を辞めて、ライダーとしての勝負の時を迎える。「昨年は中須賀選手が全戦全勝でタイトル獲得、彼のすごさは一緒に走っているライダーは誰もが知っているし、同じマシンに乗っても勝てるとは思っていない。ライダーとしてずっと上にいる。それでも諦めてはいない、そこに近づいて、いつかは前にいく」と打倒・中須賀に闘志を燃やす。
その意気込みに加賀山TMは「亀井をトップライダーに押し上げたい。スズキはレースへの参戦を終了したが、何もしないわけではなく、サポートしてくれることに感謝しながら、全力で全日本を盛り上げたい」と決意を固めた。
安定した生活を捨てて一大決心をした亀井、その能力を引き出そうとするレジェンド・加賀山TMがタッグを組み、全日本へ新たな風を吹き込む。2023年、全日本JSB1000に、新たな物語が生まれようとしている。
スズキは昨年限りで、2輪の最高峰、ロードレース世界選手権(WGP)モトGPクラスの参戦を終了した。この余波で、加賀山TMのチームも存続が危ぶまれていたが、世界耐久選手権(EWC)を戦う「YOSHIMURA SERT Motul」のサポートを継続することを決定。同様に加賀山TMのチームも引き続き活動できることになった。
そして昨年末、ヨシムラは開発ライダーを務め、長年の功労者だった渡辺との契約終了を発表。渡辺自身も会員制交流サイト(SNS)でヨシムラ離脱を発信。同時に全日本の加賀山チームからも離れることになった。そして亀井の移籍が発表された。
亀井について加賀山TMは「2年くらい前から気になっていた。昨年、隣のピットになり、彼のレースの取り組みを見る機会が多くなり、より興味が湧いた」と“なれそめ”を語った。
加賀山TMは、スズキの契約ライダーとして英国スーパーバイク選手権(BSB)、スーパーバイク世界選手権(WSB)に参戦と海外で活躍した名ライダーだが、開発ライダーとしても評価が高く、洞察力の深さ、セッティング能力の高さは誰もが認めるところだ。
その加賀山が「亀井のやっていることは80年代、90年代のライダーがやっていたことに近い。マシンと向き合い、レギュレーションの範囲の中でチェーン、マフラー、スイングアームを加工したり替えたりしながら、どうやってその能力を引き出せるか、性能を上げられるのか試行錯誤していた。その姿に惚れた。自分が助けることができたら、もっと速くなる、もっとすごいライダーになれると思った」と絶賛する。
亀井は社員として鈴鹿製作所に勤務しながら、社内チーム「Honda Suzuka Racing Team」からJSB1000に出場。仕事の後にクラブ員たちとレースの準備をして全日本を戦ってきた。頼りにしていたメカニックが異動で変わったり、残業で来られなかったりすることもあった。少数精鋭チームで戦いながらも先輩や仲間たちと試行錯誤しながらマシンを仕上げてきた。限られた予算、時間の中でできることは自分が学ぶことだった。
マニュアル本を読み、セッティングに関する本を読みあさり、ヒントを見つけたら、ミニバイクレースで試す。その努力は、徐々にレース結果に表れた。
昨年の第3戦オートポリスの予選では、王者・中須賀克行(ヤマハ)を上回ってダブルポールポジション(PP)獲得。続くSUGO戦でもレース2でPPをゲット。決勝では13レースで3度の3位表彰台と存在感を示し、最終戦では中須賀に肉薄してパッシングを見せ(最終順位は3位)、シリーズランキング5位に浮上した。
加賀山TMと亀井の共通点の「学ぶ姿勢」が、2人を接近させた。だが加賀山TMは最初、「亀井はホンダの会社員なので、安定した生活を捨て、スズキで一緒にやろうと声を掛けることをちゅうちょした」と言う。それでも諦めきれずにコンタクトを取った。
亀井は迷った。だが、「自分にとれば雲の上の存在の加賀山さんからの誘いは光栄でした。気持ち的には、飛びつきたかったが、昨年の夏に結婚したこともあり、自分の考えだけではダメだと時間をもらいました。でも、自分がこの誘いを断ったら、誰かがこのシートを得る。そう思ったら、絶対に後悔すると、居ても立っても居られない気持ちになった。レースが諦められなかったから、社員ライダーになった。本当はライダーとして全ての時間を使って勝負がしたいという気持ちがずっとあった。その思いを家族は分かってくれた」と承諾の連絡を入れた。
亀井は会社を辞めて、ライダーとしての勝負の時を迎える。「昨年は中須賀選手が全戦全勝でタイトル獲得、彼のすごさは一緒に走っているライダーは誰もが知っているし、同じマシンに乗っても勝てるとは思っていない。ライダーとしてずっと上にいる。それでも諦めてはいない、そこに近づいて、いつかは前にいく」と打倒・中須賀に闘志を燃やす。
その意気込みに加賀山TMは「亀井をトップライダーに押し上げたい。スズキはレースへの参戦を終了したが、何もしないわけではなく、サポートしてくれることに感謝しながら、全力で全日本を盛り上げたい」と決意を固めた。
安定した生活を捨てて一大決心をした亀井、その能力を引き出そうとするレジェンド・加賀山TMがタッグを組み、全日本へ新たな風を吹き込む。2023年、全日本JSB1000に、新たな物語が生まれようとしている。
▼亀井雄大(かめい・ゆうだい)1996(平成8)年4月16日生まれ、26歳。神奈川県出身。3歳からポケットバイクに乘り始めるが、エンジン音が怖くて断念。サッカー少年として幼少期を過ごし、小学校でバイク再開。2010年レースデビューし、11年に全日本昇格。16年から鈴鹿製作所に勤務、クラブ員としてST600クラス参戦、19年からJSB1000参戦。21年ランキング6位、昨季はPP3回で同5位。
▼加賀山就臣(かがやま・ゆきお)1974(昭和49)年5月7日生まれ、48歳。神奈川県出身。95年全日本参戦開始。2003年BSB参戦、05年WSBフル参戦開始。11年チームカガヤマ発足。21年限りで現役引退を発表。22年ヨシムラ・スズキとコラボして全日本参戦、渡辺一樹がJSB1000ランキング2位。
▼加賀山就臣(かがやま・ゆきお)1974(昭和49)年5月7日生まれ、48歳。神奈川県出身。95年全日本参戦開始。2003年BSB参戦、05年WSBフル参戦開始。11年チームカガヤマ発足。21年限りで現役引退を発表。22年ヨシムラ・スズキとコラボして全日本参戦、渡辺一樹がJSB1000ランキング2位。