第43回鈴鹿8耐特集
小倉クラッチの(左から)武田、坂本、宇井監督、横山
小倉クラッチの(左から)武田、坂本、宇井監督、横山
 「OGURA CLUTCH ORC with RIDE IN」が、ついに鈴鹿の舞台に登場する。20年1月に鈴鹿8耐参戦の目標を掲げたが、その年の夏に監督兼ライダーだった岩崎哲朗さん(享年43)を事故で失った。その絶望を乗り越え、坂本崇(46)、武田雄一(44)、横山尚太(20)が2年越しの弔い合戦に挑む。

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小倉社長(中)と岩崎さん(左)、坂本(右)=20年の体制発表会で
小倉社長(中)と岩崎さん(左)、坂本(右)=20年の体制発表会で
 クラッチ/ブレーキの総合メーカー「小倉クラッチ」がメインスポンサーを務め、バイクショップ「ライドイン」を経営する坂本崇が指揮を執る「OGURA CLUTCH ORC with RIDE IN」は、岩崎哲朗さんをメインライダーに、16年から全日本ロードJGP2クラスに参戦し、20年からST1000にスイッチ。その体制発表時に「8耐出場」を目標に掲げた。

 栃木県足尾町(現日光市)出身の岩崎さんは「小さい町で活気がないから、『夢を追い掛けて頑張っているぞ』って伝えたかった」と一念発起。諦めていたライダーになるために29歳で走り出した。結婚して子供もいたが、最初は1年だけの約束が、いつの間にか「勝つまで」に延びた。ツナギの背中には大きく「夢」と描かれていた。

 いじめられていた自分を鼓舞し、高校時代はボクシングで県のチャンピオンにまでなったガッツと家族の支えもあって、走り始めて3年で全日本ライダーになった。日光観光大使にも就任し、夢を追い掛ける大切さを伝え続けた。

 岩崎さんは16年に小倉クラッチの小倉康宏社長と出会い、新たな一歩を踏み出す。坂本はチーフメカニックとして岩崎を支え、19年第6戦(岡山国際)でJGP2クラスで2位と奮闘。表彰台に駆け上がった岩崎さんは「やっと表彰台に上れました。もう孫も生まれてじいちゃんライダーだけど、まだがんばります」と飛び切りの笑顔を見せた。

 全日本のトップライダーになった岩崎さんだが、もともと20年を限りに現役を退くつもりだった。その集大成として「坂本をライダーとして8耐に連れて行く」と、鈴鹿8耐挑戦を宣言した。

 坂本は92年に16歳でレースデビューしたが、家業を継ぐために2年で断念。レース経験はあるとはいえ8耐参戦は無謀。参戦に必要なライセンスさえ持っていなかった。それでも坂本はレースに復帰。筑波選手権のST1000にデビューして優勝を飾る非凡さを見せた。

 だが、順風満帆に思われた8耐の挑戦計画は突然、悲劇に襲われる。岩崎さんは20年、新設されたST1000に参戦。コロナ禍で8月に延びた開幕戦(SUGO)で予選5番手につけた。2列目からスタートした決勝の5周目のシケインで転倒。後続車が絡んで多重クラッシュとなり、この事故で岩崎さんは帰らぬ人になった。
“救世主”となった武田の走り
“救世主”となった武田の走り
 坂本は岩崎さんのいない喪失感に押しつぶされながらも葬儀に尽力。葬儀には1300人以上の関係者、ファンが駆け付けて大渋滞が発生し、葬儀社が驚いたという。ピットを再現し、エンジン音とレース実況で送り出した。

 結局、20年の鈴鹿8耐は中止になり、21年の参戦のために動きだす。まずは8耐参戦権を得るため、当初予定していた若手ライダー2人が2度のトライアウトに挑んだが、リタイアと予選落ちで遠く及ばない結果に終わった。坂本は「張り詰めていたものがなくなった。もうやめようと思った時、小倉社長から『まだ終われないよな』と声を掛けられ、岩崎の身上だった『諦めたら負け』を思い出した」と再び立ち上がる。

 そして救世主が現れた。レーシングアドバイザーの武田雄一だ。故加藤大治郎と並ぶ才能の持ち主と言われ、96年にスーパーバイク世界選手権で日本人として初優勝を飾ったかつてのトップライダーの一人。鈴鹿8耐出場は11回を数え、表彰台も経験している。武田はシーズンオフのあいさつに小倉クラッチを訪れて坂本と出会い、その経験をチームのために使うことを決めた。

 今年、武田は12年ぶりに現役復帰して全日本JSB1000に参戦し、8耐のトライアウトに挑戦した。今回のトライアウトは1回限りで、JSB第2戦鈴鹿2&4レースのJSBレース1(4月23日)が対象となり、5チームが追加選出されることになった。そこで武田はトライアウト組17台(決勝進出は8台)中トップとなる28位の成績を収め、見事に参戦権を得た。坂本は「言葉にできない」と感無量で武田を迎えた。「権利を獲得してくれたことはもちろんですが、武田選手は親友の加藤さんを亡くして、自分の心情を理解してくれていることを感じる。チームを明るく盛り上げてくれ、支えてくれて感謝しかない」と喜んだ。

 だが、ストーリーはまだ終わらない。坂本は6月の全日本第4戦SUGOのST1000予選で転倒、他車と絡むアクシデントで左腕を骨折して全治6カ月の診断を受けた。それでも「大事に至らなかったのは岩崎が守ってくれたからだ」と、参戦への決意は変わらなかった。武田は、坂本が走れるようにライディングのアドバイスを含めて献身的に支えてきた。

 3人目のライダーには、激戦の全日本ST600で活躍する横山尚太の起用を決めた。チームには、ロードレース世界選手権で11勝を挙げ、エンジニアとして名高い宇井陽一氏も参加。宇井氏は岩崎と坂本が8耐参戦を決めた当初からチームを支え、鈴鹿8耐でも監督として采配を振るう。絶望と挫折を乗り越え、希望を手繰り寄せた小倉クラッチ。夢の舞台が目前に迫った。

小倉社長からチームへメッセージ

「目指せ完走!」

 岩崎選手が亡くなった時は、一緒にやってきたメンバーの心境を考えると、このプロジェクトをこのまま続けるべきなのか、いろいろと悩み考えました。

 結果として、今回の鈴鹿8耐に出場するという目標を達成できたことが、みんなが一つの目標に向かって一生懸命にやってきたことの大きな証しだと思います。

 この8耐に出場できるというチャンスに向け、一人一人が役割を持って、みんなで力を合わせ、そして最終的には完走できるように頑張って頂きたいと思います。

 しかし、一つ問題が起こってしまいました。坂本選手が不運なアクシデントにより大けがをしてしまったことです。そのけががこれからどこまで回復して、どこまでみんなと力を合わせられるかわかりませんが、最悪、選手として走れない場合も、縁の下ではなく、表立っての力持ちとなり、みんなを支えて頂きたいと思います。

 また、坂本選手がチームにいなかったら、8耐に向けての目標が絶対に実現できなかったと思いますので、そこは自分を褒めたたえてください。

 宇井監督と一緒にチームのみんなが生き生き! 伸び伸び! 楽しく! できる環境づくりをするのが、坂本選手がライダーとして参加できなかった時の役割だと思います。

 とにかく準備を整えて、そして「目指せ 完走!」で頑張ってもらいたいと思います。

 (小倉クラッチ社長・小倉康宏)

ライダー略歴

 ▼坂本崇(さかもと・たかし)75(昭和50)年9月5日生まれ、46歳。群馬県出身。16年チーム結成。岩崎哲朗選手をチーフメカニックとして支える。20年筑波選手権ST1000で2勝を挙げてチャンピオン。21年全日本ST1000参戦。念願の鈴鹿8耐参戦をつかむ。

 ▼武田雄一(たけだ・ゆういち)77(昭和52)年11月29日生まれ、44歳。埼玉県出身。96年全日本昇格と同時にホンダワークス入り。同年のスーパーバイク世界選手権日本大会で日本人初優勝。03年に4輪転向。06年全日本復帰。11年からテストライダーが主となる。今季は全日本JSBに復帰し、現在ランキング((R))23位。

 ▼横山尚太(よこやま・しょうた)01(平成13)年12月5日生まれ、20歳。宮城県出身。19年全日本ST600参戦、20年同(R)6位。21年は第3戦SUGOで3位表彰台に上がるなど(R)10位。今季もST600に参戦し(R)8位。