第15戦リオGP編
涙の鈴鹿から3年。リオデジャネイロの表彰台に立ったノリックに涙はなかった(カメラ=竹内秀信)
涙の鈴鹿から3年。リオデジャネイロの表彰台に立ったノリックに涙はなかった(カメラ=竹内秀信)
 待ちに待ったノリックのグランプリ2勝目。96年日本GP以来、57戦ぶりの優勝はM・ビアッジ、K・ロバーツJrとの激しい競り合いとなった。最後はビアッジと接触しながらのトップチェッカー、今季3度目の表彰台、しかも念願の中央で、ノリックの笑顔がはじけた。
 今回は本当に勝ちたかった。いつも勝ちたいと思って走っているけど今回はスタートから勝ちたいという思い以外、何も頭に浮かばなかった。いつもならこれ以上ペースを上げるとこけてしまうかもというような雑念が脳裏を横切ってしまうが、勝つことに集中することができたんだ。

 予選は12番手。雨の初日はあまりいい状態じゃなかったが6番手。やっぱりこのコースは好きだと思った。快晴の2日目もセッション途中まで3番手前後。

 この調子ならPPも狙えるかなって感じだったのに途中でリアサスの仕様を変えたらまるでダメ。もう時間がなかったから最後まで走ったけど、結局12番手。また3列目か、と自分にむかついた。頭に来た。今年は何でこうなんだろうって腹が立った。「残念だったね」って周りの人に言われたけど「これくらい頭にきてる方が決勝でいいんですよ。鈴鹿で優勝した時も予選11番手だったしね」と答えたけど、スタートがよっぽど決まらないとだめだなって思っていた。

 ところがスタートはバッチリ。ジュニア(ロバーツ)と岡田さんが逃げ、僕はバロスに邪魔をされる形で最初の何周かはジリジリと引き離されたけど、そんなに速くはないし、これならばと手ごたえを感じた。実際にバロスを抜いてからは前の2人に追い付いたし、後ろのビアッジも全然気にならなかった。

 中盤になって岡田さんに追い付き、バックストレートで前に出た。ここは300km前後のスピードが出るところで、スリップから出たことで、いつもよりスピードが乗ってしまった。それでいつもより若干アクセルを戻すのが早くなったけど、その瞬間、激しい衝撃。ひやっとした。レース後にバイクを見たら岡田さんのフロントフォークが僕のタイヤに当たり、僕のリアホイールにすごい傷。多分ホイールも曲がっていたと思う。レースが終わってすぐ岡田さんに謝りに行ったら「レースだからね。おめでとう」と言ってくれたのはうれしかった。

 その後ジュニアを抜きトップに立った。それまでのベースは1分53秒台。トップに立ってからは52秒台にタイムを上げた。引き離したかったし、ジュニアとビアッジの様子を知りたかったから。しかしペースを上げても2人は離れない。最後の勝負になりそうだったから意図的にペースを落としたが、2人とも前に出ようとしない。で、ラスト5周になり勝負を仕掛けた。でもタイヤもかなり消耗して思ったほどタイムは上がらない。それでもタイヤを温存した分、抜かれても抜き返す自信はあった。

 ラスト何周かは予想通りビアッジとの激しいやり合い。覚えているだけで3回もぶつかった。最終ラップの最終コーナーでビアッジがインをふさぎ、そのインにねじ込んでいった時は何度もガシガシとぶつかった。ビアッジとは普段は話もしないけど、今回だけはレース後に「何回もぶつかって悪かったな」って謝りに行ったら「そんなことはいいが、オレのレーシングスーツはお前のタイヤあとでいっぱい。新しいツナギ代出せよ」って笑っていた。

 チェッカーを受けてからはもううれしくて。最初はわけの分からない大声を出していたけど、そのうち涙が止まらなくなった。ウイニングランでは顔を上げられなかったし、手も振れなかった。ジュニアが隣に来て肩をたたきながら何度も「良かったな」って言ってくれて余計うれしかった。

 テレビの会見では自分でも何を言ってるのかわけが分からなかった。表彰台ではビアッジとジュニアにシャンパンでびしょびしょにされてしまった。初優勝の時もうれしかったけれど今回はもっとうれしかった。

 残念だったのはトーチュウの一面に載らなかったこと。でも日本との時差の中で写真入りで掲載してくれたことにはビックリ。遠藤さんがファクスを持ってきてくれスタッフに見せたら「さっき終わったばかりなのに」ってビックリしていた。次の日のブラジルの新聞にもたくさん載ったしうれしかった。

 久しぶりの“たらればじゃない”ノリック手記。次のアルゼンチンGPもこうなればって思っている。ヤマハとスポンサー、そしてファンの皆さんに、お待たせしましたという言葉とともに、本当にありがとうございましたと言いたい。そして、これからも応援してください。

■1999年10月27日掲載