最終第16戦アルゼンチンGP編
原田哲也(左)とともに日本食を楽しむノリック。しり上がりの好調さを呼んだ原動力となった?(カメラ=遠藤智)
原田哲也(左)とともに日本食を楽しむノリック。しり上がりの好調さを呼んだ原動力となった?(カメラ=遠藤智)
 前戦リオGPで3年半ぶりの優勝を飾ったノリックが最終戦アルゼンチンGPでも見事表彰台に立った。予選は6番手から3位フィニッシュ。一度はC・チェカにかわされ4位に落ちたが、逆襲、M・ビアッジ、K・ロバーツJrを追走した走りは鋭かった。シーズン最後のレースをいい形で締めくくった。
 リオGPで優勝した時、実は自分に言い聞かせていたことがあった。「次のアルゼンチンもいいと思うな。だめだという危機感を持って全力で臨め」だった。96年に日本GPで優勝した時、次のスペインGPで最悪のレースをした。初めて表彰台に立った95年のブラジルGP翌週のアルゼンチンも全然ダメだった。理由は、優勝できた、表彰台に立ったという安ど感のせいだったと思う。

 だからいつも通りの気持ちでアルゼンチンGPの初日を迎えることにした。ところが金曜日はあいにくの雨。といってもウエットではなく、完全なドライでもないという一番嫌なコンディション。パラパラと雨が降り続ける最悪の天気で初日フリーが始まった。

 始まったと思った途端にあっけなく転倒、1コーナ一の立ち上がりだった。走り始めて5周目ぐらいだったけど、そんなに攻めていないのに、あっという間にハイサイド、バイクから投げ出された。

 原因はコースサイドの白線だった。ジュニアも場所は違うけど同じセッション中に転んでいるし、チェカも転んだ。2日目もロッシが転び、チェカも2回目の転倒。5月のスペインGPでドゥーハンが転んだのと同じで、本当に滑る。

 白線にタイヤが乗った途端に猛烈なスピンが始まり、この転倒で左手の親指を強烈に打って医務室へ運ばれた。

 骨折はしなかったけど、はれはひどいし痛みも激しい。予選を走れるか心配だったが、痛み止めを飲んで出た。でも予選はフリー走行より悪かった。スリック、カットスリックを頻繁に入れ替えて走行。フリーの転倒のこともあり、いまいち攻め切れずに17位。去年とまったく同じ順位に終わった。

 2日目は完全なドライ。指の痛みも引き、いい感じで走れた。ただ、クリアラップを取るのが難しくてなかなかタイムを出せない。何度もトップタイムを出すチャンスがあったのに結局6番手。でも感じはいい。リオGPほどの自信はなかったが、今回も優勝争いに加われるような気がした。

 決勝では今回もいいスタートが切れた。1コーナーで3番手、3周目にチェカに強引に抜かれ4番手に落ちた。抜いたのならどんどん行けって感じなのに、チェカのペースが遅く、その間にジュニアとビアッジに離されて、チェカを抜いた時には3秒近く離されてしまった。必死に追い上げたがなかなかその差を縮めることができなかった。終盤になって少しずつ差を詰めたけど、タイヤが消耗していたので苦しかった。結局、チェカに邪魔をされた時の差のままゴール。

 確かに自分の力不足だけど、あの差は僕のせいじゃない。まあまあ納得のいくレース。来年につながるレースができた。去年は予選17位から決勝では4位。あの時のセッティングをベースに今年のシーズンを戦ってきた。それを思えばアルゼンチンGPの成果は大きい。

 今回はレース後、すぐに帰国しなくてはならなかった。ブエノスアイレスからロンドン経由で日本へ。週末は初体験の講演があり、日曜日はノリック塾(筑波サーキット東コース)。来週はヨーロッパに再び戻ってスペインのヘレスとバルセロナでテスト。まだ多忙な日々が続くが、ブエノスアイレスでは毎日おいしい日本料理を食べられたし元気いっぱい。

 今年も去年と同じランキング6位。あっという間のシーズンだったけれど今年は成果の大きい6位。今度こそ、と言い続けてきたけど、来年こそみんなの期待を裏切らないようなシーズンになりそう。たくさんの応援、本当にありがとうございました。

■1999年11月4日掲載